ぽかんと空いた時間

ぽかんと時間が空く。

やりたい事、やったほうがいい事、やらねばならぬ事はあるのだけれど、

この5年あまり、ほぼ毎日アルトサックスを吹いていた時間だけがいまだにぽかんと空く。

腰が痛くとも、座っていても痛くとも、あの右脚を電気メスで切り刻むような痛みに襲われる先月5月中旬までは吹いていた。

左手が痛かろうと、手指がよく動かなかろうと吹いていた。

調子の悪い時は、好きなスタンダードJAZZを吹いて自分を慰め、励まししていた。

すっかり生活の一部になっていた時間は、吹かなくなっていつの間にか一ヶ月以上たったというのに、

その時間だけどうしてもぽっかりと空いたままだ。

残念ながら上手くはなれなかったけれど、

それでも最近は、いくらか自分なりの表現ができるようになってきたような気がして嬉しかった。

「まだ大丈夫かもしれない。」と思いつつ、やはり怖かった。

念のため、頚椎骨化症の専門医に診てもらってアドバイスをいただくまでは、

もしかして両腕が動かなくなったり、またすぐ手術になるのも怖い。

手術はもうしたくない。

そういう訳にはいかなくとも、せめて2年後くらいにしたい。

そんな弱音、癌で亡くなる方には聴かせられるものではない。

頑張っている人が沢山いる。

ごめん、私は今は頑張れない。

頑張りたくない。

右脚は痺れたままだし、退院時は無事だった足首から下、足の裏と指まで、それも無事だった左足まで痺れてきた中で、

左腕は痛だるい中で、

家事をしながらリハビリをし、

「きっとこの痺れはいずれは治るものだ。

術後の炎症によるものだ。

バカな私の(腰から右脚につながってる)神経が自由になったことに気づかず、まだ圧迫されていると思い込んでいるだけだ。

たとえ痺れ続けようと、きっとそのうち慣れるものだ。」

で、元気にもなるけれど、

やっぱりぽっかり空く時間、途方にくれる。

もう少し涼しければ散歩に出るけれど、

そうそう午前中はちょこっと散歩に出た。

そして暑かった。

これで今度は熱中症で搬送されたらバカ丸出しだ。


とにかく次の診察時、紹介状を書いてもらい、出来るだけ早く骨化症を扱える、骨化症の患者を多く診ており、手術している病院へ行こう。

適切な診断をしてもらおう。

もっと早くそうすべきだった。

ちゃんと戦うべきだった。

きっと今からでも遅くはない。

そして「大丈夫」だと言ってもらえたらアルトサックスをまた吹こう・・・出来れば「誤診だ」ならいい。こうやって悩んだ時間も勉強になるから、それもいい。

「危険だ」と言われたら、その時は潔くあきらめよう。

そしてこのぽかんと空いた時間を埋めていく努力をしよう。


全然関係ないけど、例によって集団検診でひっかっかった、とは言っても、とうに腫瘍があって年に一回診察するように指示を受けている乳房の外来診察に行っていない。

「まだ小さいし、マンモグラフィー写真の色的に良性だから」ということで、検査は年に一回でいいとなっている。

昨年診察を受けた医師は「検査も放射能をあびる訳だから、あまり頻繁は危険だ」と言っていた。

予約をとらねばならないけれど、まだその病院まで一人で行ける状態じゃあない。

夫に通院の度に会社を休んでもらったり遅刻してもらう訳にもいかない。

秋までには行けるように、リハビリ頑張ろう。

それより歯医者に行きたい。

手術後から徐々に上の奥歯が左右ともに痛くて、ものが食べづらい。

車でもスクーターでも自転車でも整形外科医の許可がおりれば、さっと行けるのにな。


あちこち悪くて、困ったな119.png



# by sizhimi | 2017-06-23 16:14

散歩をせねば

我が家から見える狭い空は、今日は青い。

散歩に行きたいと思うし、行かねば・・・これ以上ひきこもっている状態(好きでひきこもっている訳じゃあない)じゃあ、

精神的にどんどんと追い詰められていく不安感にかられている。

しかし、介助者無しだし、

先日一人で通院はできたけれど、その時は必死だったし、

右腕の痛みが首の骨化部分が大きくなっていたせいだとは思ってもいなかった。

左腕に症状が出ていても、一応利き腕ではないので、

そりゃ症状がキツい時は、右脚が悪い為に、杖を持って補助にするのは左手だから不便はあったけれど、

そんな首の状態でも、首よりアルトサックスを選び、日々何も考えず夢中になって吹く時間が私を救ってくれていた。

今はさすがに怖くて、アルトサックスより首を選んでしまう。

今はなんとか支援センターが介護保険申請中による暫定支援ということで、いくつかの介護用品を借りられることにより、

それらの補助を得て、家事(料理以外)をやっている。

料理が出来ないのは、さすがに以前のようには動けず、とってものろま過ぎて、そこまで時間が取れないことによる。

とにかく、疲れるのか?散歩するまでの元気が出ない。

元気がないところに不安感が加わり、逃げ腰になっているのかもしれない。

「散歩に行って、外の、特に午前中の陽をあびた方がいい。そうでないと鬱になるリスクが高い。」という脳科学や医学の理屈通りには体が動かない。

頑張ると自分にとって、それはしがらみでしかなく、ストレスになってより悪いから・・・ストレスは首の症状を悪化させる恐れがあるので避けたい・・・気が向くように自分の心を仕向けよう。

で、赤いエプロンを身につけた・・・頼り。赤い服は冬物に一着あるだけで持っていない。いつの間にか黒か茶色、グレーか青ばかり。テンションが上がる色ではない。

勿論、気が向けばすぐに外出できるように、朝一でメイクもほどこしてるし、外出できる服装にも着替えてる。

しかし昨日は出れなかった。

今日は出られるか?

不安に負けるなよ!といったところ。


そういえば、家族が皆筋トレをしだした。

皆「ああはなりたくない」といったところだろう。

いくらかでも彼ら、彼女の健康維持のお役に立てたならば、嬉しいです・・・といったところか。


夫には、筋トレよりも、父親譲りの「言ってはいけないことを言ってしまう癖」を直して欲しいが、それもDNAなのか?・・・ならば我が子たちが心配だ。

とにかく、どうしようもなく夫の血筋は負けん気が強いのだ。

夫の父は「ごめんなさい」が言えないし、

夫の母は「ありがとう」が言えない人だった・・・死に際に「ありがとう」を言ったとかで、「あの人が言ったよ」で騒ぎになったくらいだ。そこまでいくとある意味凄い、極めている。

その二人の息子だからしょうがないと言えばしょうがなく、

できちゃった婚とはいえ、結婚した私にも責任がある。

自分のケツは自分で拭くしかない。

ふと、こんな人生さっさと終わってしまえ、と思ったりする。

思えば、姑も癌になり、余計な治療を拒んだ。

「もういつ逝ってもいい。」で享年77歳・・・今時では早い死だった。

舅はその後も元気に長生きしている・・・生きる力が強いのだろう。

私の父親もそうだけれど、夫婦の片方が生きる力が強すぎると、もう片方は早く死ぬ?・・・生命力を吸い取られるのか?お化けかよ。

夫は顔は母親似だけれど、その性格も体格も父親似だから、きっと元気に長生きしてくれるだろう。

私は顔は父親似だけれど、体が弱いとこは母親似だから長生きにあまり期待はしていないけれど、

母のように自ら命を絶つ気はない。

そんな勇気も根性もないところは父親似なので、こんな状態で長生きするのか?・・・なんか生き地獄だな135.png

でもね、母の選択は間違っていたとしっかり思う。

どんなに絶望的な気分でも、

「このまま家族の重荷ではいたくない。」と思おうとも、

実際家族の重荷であろうとも、

何が何でも生き抜いてやる、という背中を我が子に見せるべきだ。

それが親の務めだ、と私は思う。


で、しょうがないから、リハビリ科で出された宿題を日々何度も頑張るしか、今は道がないのである137.png



# by sizhimi | 2017-06-23 09:26

自分を愛する人、自分を愛せない人

今日は晴れてるのか?我が家の窓からは隣の家しか見えないからよくわからない。

見上げる空はうっすらグレー。

狭い空は、とりあえずは雨を降らす顔はしていない。


a0152078_12180258.jpg
昨日から、時にふと、「これは妄想ではないか?」と度々思う。

本当は私はどこも悪くはなく、昔のように飛び回れるのではないか?

医者の言葉とかは私の幻聴で、私には幻覚とか幻聴とかある病気で、全てが妄想の世界なんじゃないか?

精神科医が言う「あなたは正常ですよ」も幻聴なんじゃないか?

ならば、向精神薬とかいうやつで治るんじゃないか?


現実であることを思い、

どうしても現実であることを思い、

涙が出る。

また切られる日が来ることを思い、不安になる。

麻酔の副作用の吐き気や、寝返りもうてない激痛を思い出し、恐怖する。

大声あげて泣き出したい気分を抑える。

涙をこらえる。


泣いた方が楽にはなるだろう。

でも、泣けば、その現実を認めるような気がして、

妄想や夢であって欲しいと願う。


そんな気分の時に、夫に今度は、私よりゴルフの方が大事、と言われた。

本当にいつも私を傷つけるのが好きだし、上手だ。

しかし(夫は)経営陣から外されたおかげで、私は会社よりは格上げされたそうな。

この人は本当に誰かに恋したこと、誰かを愛したことがあるのだろうか?

もし60年近く生きてきて、自分自身以上に愛することが出来る人に出会えていないのなら、可哀想だ。


「お前はどうなんだ?」と聞かれた。

「私の問題は、私が私自身を愛することも、大切にすることも出来ないことだよ。あなたの逆だ。」

と応えた。



# by sizhimi | 2017-06-22 12:23

頚椎後縦靱帯骨化症の進行

今日はこちらは晴れ。時々雲もかげるかな?って程度、とにかく暑いらしい。


昨日は、F整形外科での退院後初の担当医の診察とリハビリがあった。


最悪な気分。


理由は、首の頚椎後縦靭帯骨化症(OPLL。指定難病69)が進行(成長)し、骨化部分が大きくなった為

両腕・・・右腕は二の腕部分がひどく痛く、左腕は全体の脱力感と痛み、いつもの親指の付け根の痛み・・・

そして左手の指が全部動きが良くない・・・すんなり動かない

首も相変わらず痛く・・・2006年3月末からだから慣れたと言えば慣れた・・・湿布が入浴中以外は外せない。

腰から下も不自由なのに・・・これも首の骨化症のせい?・・・、腕まで不自由になってはなかなか面倒だ。

急にまた進行した・・・いや、していたのに、私自身慣れ過ぎていて気がつかなかった?。

ブログ更新も時間がかかってしょうがない・・・もともとがパソコン派で、ブラインドタッチで指がキーの場所を覚えているので、

正直、何処にどのキーがあるのか、脳は覚えちゃいない、指頼り

それどころの話じゃないけど148.png。・・・スマホ更新にもっと慣れた方がいいんだろう。


ここらじゃ手術できるのは千葉大のみだそう・・・原因不明で治療法がないので、悪化したら手術対応しかないらしい。

骨化が大きくなった部分を削るだけで、骨化を治す手術ではない。骨化した部分がまた成長して大きくなればまた削るの繰り返ししか現代では対応できない。

夫は東京は九段下の病院を探してくれて、「いざとなったらそこに連れていく。」と言っているけれど、

どちらの病院も、こんな体で一人では通院できない。

まだ会社勤めの夫に、常に介助してもらう訳にもいかない・・・だいたい、そういった病院は外来診察は午前中のみで、通勤通学ラッシュの電車やバスに乗らねばならず、

先日もここで書いたけれど、優先席の前に杖をついて立っていても、健常者が気づかぬふりをして座っている・・・寝てるふりとか、おしゃべりに夢中になっていて気づかないふりとか、時にスマホゲームに夢中で下しか見ておらず本当に気づかない。

私、転倒したら、首の骨をおるリスクが普通の人より高いんですけど148.png・・・そんな事、他人は知ったこっちゃない。


何よりもう手術はしたくない!!133.png145.png143.png


なんか、自分の病気を軽く考えていた。

下手に知りたくなかったので、調べなかった。

さすがにネットで調べたら、今後の自分が見えて、すっごく嫌な気分。


そういえば、長年抱えていた頚椎ヘルニアが、「骨化してるから手に負えない。」と前に通っていた整形外科クリニックで告知された時、

ショックで泣いたし、当時の気持ちもこのブログに綴った記憶がある・・・3〜4年前だったかと思う。

あの時には、自分の病気のことを調べなかった・・・調べられなかった・・・気分的に・・・ごく最近まで調べる気分になれなかった。

夫も、子供達も誰一人として調べなかった。

夫はまだ社畜で忙しかった頃だし、

何より、私自身を含めて、家族の誰もが、私が病気をすることに慣れ過ぎてしまっていた。

もう皆うんざりしていた。

ただ重たいだけで、誰もが重たいことから顔を背けていた。


首のことだって、医師はうるさく注意していたのに、私は言うことを聞かないだらしのない患者だった。


頚椎ヘルニアの症状が発症してからこの11年余りの間に、ヘルニアは次々と増えて4箇所になっていた。

当時通っていた整形外科クリニックは自身のとこに手術室はない温存療法主義。

「まだ手術する段階ではない。」と医師が言っている間に、それらのヘルニアが骨化しだした。

骨化しだしたら、もう遅かった。

難病なので、そこらの病院で対応できるものではないし、治療法もない。

湿布(ロキソニン湿布。ボルタレン湿布は陽に当たるとかぶれます。)で痛みに対応するのみ。

何故ヘルニアのうちに手術してくれる病院に紹介状を書いてくれなかった?・・・今更後悔しても責めてもしょうがない。

私自身がもう手術を拒否する気持ちがあったので、積極的ではなかった。

私自身が目の前の現実から目を背けていた。


a0152078_12183294.jpg
もうアルトサックスは吹けないだろう。

当初はそれがショックだったけれど、今日は今後のことを考えると怖い

動きづらくなってしまった指で、こうやってパソコンを打ちながら、

「あんなに早く打てたのに。耳で聞くと同時にその言葉を打てるだけの指だったのに。」

誤字が多くなっていたのを自分でも知っていたし、気づくと後から直していたし、

何より打ちづらいという内容でここにも過去に書いてある。


私はあきらめてばかりいた。

戦うことを嫌い、逃げていた・・・もうそういう癖みたいなものだ、きっと。

戦うべきだったのかもしれないけれど、傷つきたくなかった。


なんだかんだと、「あっちが痛い、こっちが痛い」と言いながら、結構元気に長生きすると思い込んでいた。

かつて、2005年に末期の卵巣癌で亡くなった、毎日一緒に「目指せ健康!目指せナイスバディ!」とウォーキングしていた親友と、

「80過ぎた婆さんになっても、私たちは押し車押しながら一緒に歩いてるんだろうね。」と笑って語っていた頃、

自分たちはずっ〜と健康いられると思い込んでいた

死はまだどこか他人事だったし、

寝たきりになるのも、冗談では口にしていたけど、それも他人事だったから笑っていられた。

他人事なんかじゃなかった。


夫が直腸癌で手術入院した頃、本人はもちろんショックでキツかったと思うけれど、

妻である私も、まだ学生の子供を3人抱えて不安と恐怖でいっぱいだった。

それでも頑張らねばならなかった。

その気持ちが、身をもって体験し、よくわかっているからこそ、

同じ気持ちを夫にさせていると思うと、泣くことは出来なかった。

ついつい明るく振る舞っちゃうし、家事も夫の手を患うことなく自身でやれるよう工夫している。

担当のケアマネさんと介護用品の事業所が助けてくれる筈。

まぁ、明日、市の介護課に人が介護度を測りに調査にくるので、

その結果「要支援」以上が出た場合に限る。


国も自治体も金がないから、F市には高い市民税を取られ続けているばかりで、その金もどこに消えているのか?・・・道路一つ改善されない。

他の自治体に比べると介護保険の申請は通りやすいという噂は耳にするし、

私の病名が病名(腰部脊柱管狭窄症。2度の手術済み)だから何かしらは得られる筈ではあるけれど、

出るまでは不安だし、

出たら出たで、自分が抱えている現実を直視せねばならず、気持ちよいものではない。

こんなことからは、弱虫の私は、逃げ続けていられるものなら最期まで逃げ続けていたい。


それに・・・

2本の愛するアルトサックスを「もう吹かない」と決心して売ってしまった方が潔く(いさぎよく)あきらめもつくものだと思うのだけれど、

全然潔くなれない私である





# by sizhimi | 2017-06-19 11:03

孫、そして介護保険申請

今日は午前中は曇り。午後から雨。


先週はともかく忙しかった。

月曜日に検査が入り、翌日の退院が決まった。

退院が決まったのは嬉しいけれど、その反面、帰宅後の生活を思うと不安でいっぱいだった。

もとのような生活には戻れない・・・いずれ戻れるかもしれないけれど、とりあえず当分は戻れないらしい。いつ戻れるかも「神のみぞ知る」らしい。

午前中の退院時間ギリギリまで、入院していたF整形外科病院の相談員さん(地域連携室 室長)と今後のことを相談し、アドバイスをもらい、手配してもらったりしていた。

夫の連れられて帰宅してしばらくすると、相談員さんが手配してくれた介護用品レンタル業者さんが介護ベッドは搬入してくれた。

相談員さんにいただいたアドバイス通り、すぐに地域包括支援センターと市役所の障害福祉課に電話した。

市の障害福祉課は、担当医に相談するようにとの指示・・・もし該当となった時に何度も足を運ばずとも済むように申請書類をすぐに郵送してくれた。

介護保険はまた窓口が別である・・・地域包括支援センターが担当部署。

地域包括支援センターから委託を受けた事業所の相談部主任(社会福祉士)さんからさっそく連絡を受け、

調査ということですぐに訪問して下さった。

どうも私の容体が「緊急性を要す」ということで、普通の手順で事を進めていたら事故でも起きて大変なことになりかねない、とのことで、

・・・退院した当日、さっそく風呂場で、浴槽から出た時に転倒しかけたから。

私の代わりに、プラスチック製のシャンプー、リンス台が壊れてくれた・・・

特別に早々と手際よく手配してくれて、金曜日には私の担当となるケアマネージャーさんと担当となる介護用品レンタル業者さんの担当者の3人が揃って我が家にお目見えになった。

よりによって担当者が全員男性である。

こちらは家族は皆忙しく、夫も私の手術に際して随分と有給を取ってしまったので、私一人の対応となる。

入院中に行き届かなかった片付けや掃除で私も忙しかった。

やれてることは大したことはない。

ただやや不自由な体の使い方にまだ慣れてない私には、一つ一つの作業が時間がかかる。

重い物が持てないことにより、分けて何度も往復して運んだりして、

それでなくとも要領の悪い人間が、余計にノロくなる。

結構クタクタの中、見ず知らずの他人の応対をせねばならない・・・頼んでいるのはこちらだから文句は言えない。対応の早さに感謝するのみ。

a0152078_22052254.jpg

そして、この土日は、長男が孫を連れて退院祝いに来てくれた。

先週の土曜か日曜日、入院中に見舞いに来る予定だったのが、孫がアデノウイルス(俗名:プール熱)になり、感染症の為に外出禁止をくらっており、おまけに長男が会社を休んで看護していたのだけれど、しっかり観戦して高熱を出していたそうで、

無理してそんな恐ろしウイルスを持って病院になんて来られたら、うちだけの問題ではなくなるので、来ないでくれて助かった。

で、今回、退院祝いと父の日祝いを兼ねて来てくれたのは嬉しかった。

しかし、以前のように、一緒に散歩することも、もちろん一緒に走ることも、それどころか抱っこもおんぶも今は出来ない状態の私。

今日、駅まで送り、見えなくなるまで何度も振り返っては「バイバイ」と叫ぶ孫を、

その姿が見えなくなるまで改札口で、大勢人の出入りがある中で、「バイバイ。また来てね。」と叫ぶ私は目立ったであろう。

目立ったって構わなかった。

孫の姿を、今回はとても切ない気持ちで見送った。


昔ながらのおんぶ紐でおんぶしてもらうのが大好きな孫である。

かつては我が子達をおんぶしたその体で、子守で随分とおんぶした。

もうしてやれない。

おんぶ紐を息子に譲った。

太った長男は、おんぶ紐の紐を胸の前でバッテンは出来なかったので(紐の長さが足りない)、脇の下を通して、リュックのように背負う形で使えるように指導した。

使ってくれるだろうか?

どんなに泣いている時でも、おんぶ紐で背中にくくって動き出すとピタリと泣き止む孫である。

おんぶ紐でくくられながら、婆ちゃんの私が家事をするのを背中から眺めるのが大好きな孫である。

用がなくても、おんぶ紐を持ってきて「おんぶしろ」と催促する孫である。

今の若い人たちが使う物とは物が違い旧式ではあるし、格好は良くないけれど、手慣れれば即座におんぶ出来、幼児も安心する旧人の知恵の賜物である。

使ってくれたら有難い。

a0152078_22062385.jpg

明日は退院後、初の診察とリハビリである。

夫が会社だし、私は車もスクーターも自転車も禁止されているし、直通の公共交通機関がないが為に、タクシー利用予定。

行き帰りはタクシーでなんとかなるだろうけれど、病院内の移動に不安を感じる。

階段や段差がまだ危ない。

痺れている右脚が突然膝が折れてガクンとなり、転倒しかける。

幸い、今のところは無事。


明後日は、市の介護課の担当者が介護度審査に、私の担当ケアマネージャーと一緒に訪問して下さることになっている。

うちは、他人が来るとギャンギャンと延々泣き叫ぶ老犬がいて、隠れる猫が2匹、

「どんな奴が来たんだ?」と話し合いの最中に、テーブルの上にのぼって横たわり、部外者を観察する猫1匹おり、

他人様に迷惑をかけないように対応するのに気を使う。

そのストレスを思うと、他人がうちに来るのを私は好かない・・・隠れる猫達には強いストレスにもなるし、私だって他人は苦手でストレスになる。

しかし、夫の重荷になっている今、「嫌だ、嫌だ」ばかり言ってもいられない・・・いい歳した大人なんだから。

落ち着くまで、しばらくしんどいなぁ〜148.png

何より、市の職員は苦手だよ。

やはりどうしても民間企業とは違うから、「サービス」って身についてなくて、

特に福祉関係は、利用者が調べなければ、「こういう制度がありますよ」といったポスター1枚作らない。

せめて広報に書けよ!!133.png

働いても働かずとも給料が同じなら、そりゃ働かないよな・・・私だって余計なことをして疲れたりしないだろう。

な〜んて公務員を責めるならば、自分が公務員になって甘い汁を吸えばよかった訳で、

それをしなかった時点で、責める権利ないから・・・公務員だって税金を払って入るし。


担当した在宅介護支援センターの相談主任さんも、担当のケアマネさんも「認定外とはなる筈ありませんよ。はっきりとは言えませんが介護度1は出るかとは思われます。」とおっしゃっては下さるけれど、

市の職員を信用していない私は、「どうせダメだろう」気分。

ダメなことに気を使い、ストレスを抱えることに不満な私。

何より、リハビリを頑張って、治るつもりの私166.png

へたに「介護度2」な〜んてつけられたら、かえってショックで寝込むかも。


そうそう、誤解しないでいただきたい。

私はまだ65歳以上ではありません!!

私の病名だと、40歳から認定資格があるそうです。

それもあまり有難くありません148.png



# by sizhimi | 2017-06-18 19:53


頚椎後縦靱帯骨化症(指定難病)、右脚人工股関節、腰椎変性すべり症を持つ整形外科と縁が切れそうもない50代主婦の徒然日記。


by たまごふりかけS

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