入力期の脳に関して
2015年 10月 03日
暴風をおこしている台風なみの低気圧は、北海道で停滞しているそうで、あちらでは今日も暴風吹き荒れるとのことだし、死者まですでに出ている。
暴風のニュースを聞き、そのイメージで、今朝はモーツァルトの『魔笛』で始まった。
そして今はブラームスの『ハンガリー舞曲』が流れている。
朝としてはせわしい曲なのだけれど、決してちゃかしている訳ではなく、「暴風吹き荒れる街で色んな物が飛んでたり、人々が慌ててたり」の私のイメージがこんな感じ・・・といったところ。
「そんなことして遊んでないで、さっさと働けよ!
そんなだから、ろくな仕事もしてないのに、あっという間に1日が終わっちゃって、もう土曜日じゃん┐( -“-)┌」
と、今度は、モーツァルトに戻って『フィガロの結婚』を流している。
今週は忙しかった。
「じゃあ何をしたか?」と言っても、そんなに「忙しい」と騒ぐほどのこともしちゃいない。
30代の頃はテキパキと事を処理し、1日にいっぱい仕事ができたものだけれど、それから20年、
生産性はものすごく悪い。
動きがのろいのか?
ぼーっとしている時間があるのか?
もしや、ボケて、同じことを何度もしてるとか?
まぁ、たいしたことをしていなくとも、要点はつかめているのか?
とりあえず、それなりにうまく生きてはいるから、「50代半ば、出力最大の本質しか見えない、頭のいい時期」に含まれるのだろうか?
入力期に結構頑張ったもんな、と自画自賛。
寝る間も惜しんで、大いに学び、大いに遊び、大いに働いた。
入力期である、おとな脳の15〜28歳は、その前のこども脳に比べて、情報をコンパクトに保持できるので、
単純記憶力のフル活用に適した時期と言える。
15歳以下のこども脳も、単純記憶力に特化して使えば、天才児並みに能力を発揮するのだけれど、
この時期の脳は、他にすることがあり、丸覚えするようなことに使うのは、ちょっともったいない。
昨日書いた13〜15歳の、ハードウェアとソフトウェアの整合性が悪く、誤作動が生じる時期は、
世間では「中二病」と言われるように、思春期突入期で、妄想と現実がごっちゃだし、突然悪態をつくようになったり、学校には遅刻するようになったり、それどころか行かなくなったり、ひきこもったり、万引きしてみたり、理由なく友達をいじめてみたり、家出してみたり(で、殺されちゃったり)・・・正直、親も教師も手に負えない。
脳が誤作動しちゃって可哀想な時期なのだけれど、
「可哀想に」では済まないことも多々あるので大変だ。
この誤作動中に関しては、周りのおとな達は、「殺したり、殺されたり」だけはしないように、その行動に注意するしかあるまいて┐( -“-)┌
うまくおとな脳への切り替えが出来ず、誤作動し続けてる脳まで出てきちゃうから、結構この時期への対応は大事かと私は思う。
が・・・どうしたらいいか?な〜んて3人育てたけれどわからないや┐( -“-)┌
故に、無事おとな脳になった15歳から20代終盤までの脳は、がむしゃらな入力装置と化している、という話に戻そう。
この時期は、せっかくなのだから、死に物狂いで、なんでもこなしといた方がいい。
「この仕事(勉強)、私に合っているのかしら」なんて考える暇もなければ権利もない。
脳が最終的に獲得する知識ベースは、比較的抽象的なものなので、
「あの仕事がやりたかったのに、この仕事にまわされた」などと、おろおろしたり落ち込んだりすることはない。
そんな時間はもったいない。
一つの業務を極めれば、後にどこにだって行ける。
20代は、うろうろして無為に過ごす時間がもったいない。
最近は、部屋にひきこもって無為に過ごしちゃってる20代が多いと聞くけれど、個人的には、そういう奴は、部屋を壊して外に蹴り出しちゃっていいと思う。
この時期にせっせと入力しとかないと、出力期に、使い物にならないおんぼろと化す。
そういう人に「生活保護」なるものを与える為に、悪いが、私らせっせと税金おさめている訳じゃない。
勿論、生活保護を受けてしかるべき人たちの方が殆どですが、一部、「違うだろう」という人たちがいるのも確かなので、
その一部の「違うだろう」と突っ込みたくなる人に対しての話。
なんか、アリがキリギリスの生活を支えてるのって、私は疑問しか湧かない。
そういうキリギリスに限って「人権」と騒ぐことにも、悪いが、疑問しか湧かない。
たたかれちゃうかもしれないけど、
「じゃあアリの私たちの人権は?」
「アリはキリギリスの奴隷なの?」
「それって平等とは違うと思う」としか、私の小さな世界観だと言えない。
ごめんなさい。
でもね、せっかくの10〜20代・・・50代半ばのおばさん、おじさんからすれば、うらやましくてしょうがない。
この時期の脳は、出力が手薄なので、いいアイデアが出ることもあるけれど、出ないことの方が多い。
たまさか成功した人に憧れて、比べて自分を卑下してメゲる必要もない。
脳はまだ自分が何者か知っちゃあいないのだから。
その「何者かわからない」とこがおばさんは羨ましい。
若者よ、君たちも、いずれ、必ず50代にはなる。
そして、50代も半ばになると、自分が何者か、決まっちゃってるし、自分でもわかっちゃう。
それって悲しいよ。
と、今日は「そこらのおばさん」のうだうだを書いてみました。
*参考資料:黒川伊保子『キレる女、懲りない男ー男と女の脳科学』
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