涙のあとは
2016年 03月 27日
家中掃除機をかけ、さっぱりし、
痛み止めの効果が早く切れてしまったので・・・服薬は朝夕2回・・・痛み止めの座薬を入れ、
おとなしく読書で、読みかけていた岩井志麻子の『夜啼きの森』を読み終えた。
気がつくと、窓の外の日差しは夕方を示していた。
急いで洗濯物を取り入れる。
いつものことだけれど、前の家の陰となって乾きが悪く、生乾きなので、洗面所に置く除湿機の上に干し直す。
前に立ち並ぶ2階屋の間から我が家のバルコニーとリビングに燦々と陽が差し込むのは、日中の2時間程。
その2時間はとても気持ちがよく、猫たちも日向ぼっこを楽しむ。
よく検討して買えばよかった。
当時は、マンションでペット可物件は少なかった。
せいぜい「2匹まで」と制限つきのものばかりだった。
すでに我が家には犬1匹と猫2匹、フェレット1匹(2014年没)がいた。
本当は犬はもう1匹いたけれど、中型犬のその老犬は連れてくることが出来ず、夫の実家に預けていた。
彼女は2011年の夏に17歳で亡くなった。
彼女の後を追うように、世話をしてくれた夫の母は2011年の秋に亡くなった。
その老犬を預ける至ったのは、私がすでに首腰脚が悪かったので、夫の母が面倒をみてくれていて、
それが夫の母の生きがいにもなっていたのか、夫の母は私より元気であった。
農業に長くたずさわっていたのもあり、足腰は丈夫だった。
癌を患ってはいたけれど、高齢であることより進行が遅く、長生きするように見えた。
夫の本社が移転により移り、役職柄基本本社勤めとなるのだけれど、遠距離通勤はさすがに難しい距離だった。
いつまでも単身赴任してるは、ますます夫婦関係が悪化するばかりだった。
また、田舎では私を治してくれ得る病院もなく、遠距離通院も一人では難しかった。
いったんペット可の賃貸マンションに移り、それから今のマンションを購入した。
「ペットは近隣に迷惑さえかけねば何匹でも可」が決めてだった。
マンションにしたのは、私の足腰では、一戸建てならば平屋でなくては生活しずらく、それだけの敷地を得るのは、いくら都外とはいっても、首都圏内ではかなり難しく、場所的に生活に不便なところが多かった。
当時は、今ほどネットスーパーもAmazonも普及していなかった。
まぁいい。楽器も可であったことは有難かった。
この足腰ではサックスを持って、楽器演奏可のカラオケ屋やスタジオにそうそう行けもしないので、自宅でアルトサックスが吹けるは有難い限り。
これ以上の贅沢を言ってはバチが当たるというものだ。
しかし、右脚、人工股関節が体に馴染み、「痛み」に怖がることなく外出できるようになり、ウォーキングを始め、
長年地獄に慣れてしまっていて、「辛い」という感情に慣れてしまい、それが普通になってしまっていたがばかりに、
ひとたび天国の住民になってしまい、嬉しく楽しく過ごさせてもらったは有難いけれど、
再び、突然もとの世界に堕とされたは、かえってキツいものだった。
10年前、突然この世界に堕ちた。
当初、家の中をまるで映画『呪怨』に登場する女の怨霊のごとく、痛みに耐えながら這って移動していた。
トイレも、這って行き、便器につかまり、よじのぼり、なんとか座って用を足した。
用をたす時に脊髄に激痛が走り、悲鳴をあげたものだった。
まだ学生だった子供たちならしょうがないけれど、いい大人の夫も、夫の両親も知らん顔で、誰も病院へ連れて行ってはくれなかった。
自分の力で車を運転して病院に行けても、近場には専門医がいなかった。
もっと良くなって、車で片道1時間半かけて専門病院に行けるまで回復を待たねばならなかった。
今にして思えば地獄絵図のようなその世界に慣れてしまっていて、「そういうもの」だった。
そこに住んでいる人々が、皆「そういうもの」だった。
私がその地を去った後、どんどん都会から人が入り、新しいお洒落な家が立ち並ぶようになったから、きっと今は違うのだろう。
10年で、本当に世の中はガラッと変わるものだ。
人の意識も変わる。
夫は、何故当時、妻を病院にも連れて行かず、放っておいたのかわからないと言う。
まぁすぐ忘れる人だから、忘れているだけなのだろう。
それとも、気持ちがとうに離れていたことを口にする訳にはいかないだけなのだろう。
そんな世界が「普通」だった頃は「痛い」も普通だった。
よく「強い」と感心されるが、そうじゃない。
その世界が「普通」になってしまっていたから、なんの感情も抱かなかっただけの話だ。
感情を持てば、「辛い」が顔を出すのだから。
ただ、遠方に一人で出かけ、歩けなくなった時は困るから、一人では遠出はしないようにしたし、
やはり、そういった過去があったから怖かった。
ふらっとお使いに出れたここ数ヶ月、
ふらっと一人で孫に会いに横浜まで行けたこの数ヶ月、
痛みを恐れず、ウォーキングで汗を流せたこの数ヶ月、
私にとっては天国だった。
アルトサックスを吹くのも楽しくてしょうがなかった。
もっと、もっと広い世界を見たい、と願った。
そんな世界を楽しませてから、再び地獄へ堕とすは残酷というものだろう。
それも、今度は、アルトサックスレッスンに通うのも難しくなっている。
余程、私は自分で気づいていないだけで、それだけの罰を受けるようなことをしたに違いない。
ならば、その罰を堂々と受けてしんぜよう。
今度は、この地獄に慣れて「こんなものさ」とあきらめるのではなく、
その中で笑える自分を見つけよう。
そのヒントとなる引き出しやポケットをいっぱいいっぱい作っておこう。
泣くのはいい。
泣いていい。
ただ、泣いた後は、流した涙の分、軽くなった心で前へ進もう。ポケットを作ろう。
もう54・・・若い人たちからは「おばあさん」らしい。
でもまだ54・・・60、70、80代以降からはまだまだ小僧っ子。
泣きながらこれを書き、
泣き終えてこれを閉じる。
そして動き出そう。
痛くとも、体を動かしていた方が、気持ちは楽だ。
せめて気持ちは楽でいたい。
それだけが、私にあたえられた恩恵とチャンスだと思っている。
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