憎しみに囚われないよう
2016年 04月 01日
空は曇り。明日は曇りの上、気温も下がるとのこと。
日本航空の国内線に問題あり。
国際線は無事成田に到着すればよいと祈る。
家中綺麗さっぱり掃除する。
カビは嫌いだが、埃も嫌い。
散らかってるのは気持ちが悪い。
空気は洗ったようであって欲しい。
それに似たのか、長男宅は業務用じゃないか?と思うようなデカい最新式の空気清浄機を購入していた。
うちがプレゼントした古い小さな空気清浄機も物置代わりに使っている部屋で稼働している。
花粉症も手伝ってか?私より空気に対しては神経質かもしれない。
洗ったような空気になったリビングに、久々に線香を焚いた。
さくらの香りだ。
廊下では、アロマライトでティートリーの香りを、花粉症の症状を軽くせんと漂わせている。
トイレットペーパーは白檀の香り。
玄関にはドライフラワーが添えてある森林の香り。
家の中は猫3匹、犬1匹、はりねずみ1匹だから、きっと動物の臭いもすごいことだろう。
こうやって書き出してみると、我が家は色んな臭いが混じり合って、すごいことになっていそうだ
( ̄▽ ̄;)
そんな状態だから、掃除は一日置きには念入りになる。
ようやく家事がひと段落した頃はゆうにお昼を過ぎる。
そうやって動いていた方が気持ちは楽だ。
余計なことを考えなくて済む。
「痛み」も痛くとも忘れられる、と言うか共存できる。
しかし、これで何度かリハビリ科では怒られた。
腰の時は、今かかりつけの整形外科クリニックで、「普通は痛けりゃ安静にしてるでしょ。」と、まるで私が「普通」ではないかのように言われた。
右股関節を、人工股関節置換術を受けた後も同じくだった。
まずは「頑張ってますね。」で始めればいいのに。
「でも、頑張り過ぎですよ。」でいいのに。
大した資格でもないのに、ちょっと資格を持っているだけで、上から目線で目上の者を馬鹿にした物言いをする若い者は嫌いだ。
その部屋、リハビリ科、病院から一歩出たら、その目上の者の方が自分よりずっとたいそうな人生を歩んできて、逆に叱られても仕方ないくらいなのに、
その部屋の中ではお山の大将になっている。
あれは若さゆえか?
教育機関の問題か?
病院の指導管理の問題か?
ひとしきり家事を終え、腰をおろすと、
自分が人を嫌っている、憎んでいることに気づいた。
アルトサックスを吹いて気を晴らそうとしたら、
サックスの師の顔が頭に浮かんで、憎くなり、吹くのをやめた。
よくないな。
「痛み」は色んなものを運んでくる。
時にこんな余計なものまで運んでくる。
「よくないな」と、しばし休むことにした。
ちょっと休んだら、風呂の準備をして、早めの入浴と読書で癒されよう。
以前はよくサウナに行った。
サウナで韓国ドラマを見たりして、水風呂でさっぱり心も洗われて、の繰り返しをすると、
汗とアカと共に、心の中の乱れたものもどこかへ流されて行っていた。
最近は体力に自信もないし、
車の運転も、薬の関係で禁止されていては行けない。
本当は行った方が、他の人との関わりもあっていいんだろうな、とは思う。
たまに見知らぬ女性とささいな世間話をすると結構楽しい。
それも裸の付き合いだ。
隣のうるさい工場が、サウナのある温泉施設になればいいのに、と願う。
しかし、そのうるさい工場のおかげで、我がマンションは各部屋防音になっており、楽器演奏もできるので文句は言えない。
しかし、防音のおかげで、ドアの開け閉めがきつくて大変だ。
女性だと、全身使っての開け閉めとなるは、音楽スタジオと同じ。
老女となったら、開け閉めできないのではないか?と時に不安になる。
人憎さ故にサックスが吹けなくなるのは寂しいし、
愛用のヤナギサワA902も、買ったばかりのYAS-62も可哀想。
それでなくとも、バラバラにされて押入れにかたされてしまった電子ドラムセットは可哀想なのだから。
(これは右足の都合で、再び私に叩かれる日はないだろう。いずれ孫のおもちゃとして譲る予定。)
病院に行けなくなるのも困りもの・・・一時それでリハビリ科は避けてはいたけど。
私だって「人」を憎みたくはない。
「人」を憎む私は、「人」に憎まれるだろう。
だから「痛み」は良くない。
しかし、あれこれ考えても答えが出るものではないし、
悩むと脳が疲れる。
脳が疲れるとろくなことがない。
な〜んにも考えまい。
これからどうするか、どういう治療を望むか、は、次回診察時直前に考えればいいや。
直前に、夫とよく相談しよう。
それまでは「無」でいよう~(m~-~)m
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