晴れ
今日は寒いとのことだけれど、日差し強く、暖かい感じがするは錯覚か?
昨日頑張って出社した夫だけれど、結局早退して帰ってきた。
駅前のかかりつけ内科で診察&処方してもらって帰宅しようかと覗いたそうだけれど、
待合室のあまりの人混みにうんざりし、病院へは寄らなかったそうな。
そして今日、会社は仕事納めなのだけれど、休んで寝ている。
しばらく寝ると回復し、「治った!これから会社に行けそうだ。」と言うのだけれど、
動くと吐き気がするそうで、結局再び布団の中でおとなしくしている。
「病院へ行け!」と言うと、
「これはノロではない。ノロはこんなもんじゃない。
今流行っている胃腸障害風邪。
ネットに『2日寝ていれば治る』と書いてある。」と言い張る。
いつも私がそう言うと、なんだかんだ言うくせに、自分だって病院に行くの嫌なだけなんじゃない
?
娘は娘で、今日は大学の研究室には行かないそう。
理由は、皆インフルエンザウイルスにやられ「そして誰もいなくなった」状態になってしまったそうな。
「私もきっと感染してると思うから、気をつけてね。」だそうだ
不幸中の幸いは、この10日、アルトサックスを吹くのを休んだら、ここ数ヶ月苦しんでいた左手親指付け根の腱鞘炎の痛みがひいてきて、
動かす度に感じていた違和感もなくなってきた。
いっそうこのまま完治させてしまおう
。
インスタグラムは、読書を再開し、年末の忙しさも手伝って、一時期ほど関われなくはなったけれど、
休憩時にちょこちょこと楽しませていただいている。
自分から積極的に誰かのフォローはしない、たいした写真も撮れてないし、でフォロワーも少ないけれど、
私の度量としては丁度いい。
私は、フォロワーしかフォローしない。
私なんかの写真をフォローして下さる方を大事にしたい。
その方々がUPした写真を一枚一枚丁寧に見たい。
一枚一枚に撮影者のなんらかの想いがある筈。
感動した記憶、嬉しかった記憶、楽しかった記憶、悲しかった記憶、寂しかった記憶・・・などなど。
写真の出来が良い悪いではなく、それらの想いに想いを馳せる。
すると「面白くない写真」なんて一枚もない。
写真って、そういうものだと思う。
数十人のフォロワーさんの写真を何度も見ていると、
「ああ、この人はこれにすっごく思い入れがあるんだ。」「この時、本当に楽しかったんだな。」となんとなく見えてくる。
そんな妄想時間が面白い。
その私なりの楽しい時間を得るには、数百人や数千人なんてフォロワー相手には無理な話。
フォロワーの数をちょっとしたステイタスシンボルのように思っている人がいるのは、それはそれでいい。
自分の写真をできるだけ多くの人に見てもらいたく、フォロワー集め行動する人がいるのも、それはそれでいい・・・営業活動なら致し方ない。
SNSで「友達」をいっぱい作る人も同様。
それが今の「時代」ならば、それはそれでいい。
私は私の使い方をすればいいだけの話。
マイペースでいい。
自分の度量範囲内で、関わった人達一人一人を大事にしたい・・・と思うのも否定されるものでもないだろう。
去る人は去る人でいい・・・私も無言で去るだけの話。
私はSNSをそういう使い方をしている。
だから私の世界はある意味狭いだろう。
そしてある意味とても広く無限だと思っている。