昨日の日曜日は、横浜へ行った。
桜木町駅で長男と孫と落ち合い散歩。
長男は夏休み最後の日。
嫁はすでに夏休みはあけて出勤。
我が夫はゴルフ。
長女はゼミ合宿。
次男は久々に家でゴロゴロダラダラと休みたい、とのことだった。
曇ってはいたけれど、幸い雨はなく、適度に暑く、適度に涼しかった。
本当に楽しく幸せな半日だった。
孫と遊び、孫の笑顔に元気をもらった。
孫と手をつないで歩いてる写真を長男が撮ってくれた。
その私の姿は、春に孫と一緒に撮った時よりまた老けてすっかりおばあちゃんにはなっていて、
それはそれでがっかりしたけれど、
孫が春よりまた一段と成長し、元気であることが何より嬉しかった。
子供の笑顔って不思議である。
「この子の笑顔を守るためならば、自分は何を犠牲にしてもいい。」という気になる。
そして、そういう想いで我が子たちを育てていた頃を思い出す。
本当に愛おしく、
かと言って、親として「他人様に迷惑をかけない人間」に育てるべく、そうそう甘やかしてばかりいる訳にもいかず、
叱る時も多かったかと思う。
しかし、笑顔を見たくて、頑張って働き、頑張って時間を作ってはあちこち遊びに連れて行った。
あの頃が私の人生の中で一番元気で、張りがあった頃だろうと思う。
おそらく長男夫婦も今そういう時だろう。
その良い時を後悔なく過ごして欲しいとただただ願う。
長男と孫と別れた後、帰りの電車の中で、とても不安にかられた。
いつもの生活に戻ることに「その中で私はやっていけるだろうか?」。
幼子のもういない我が家は、次男も長女も大人で、家には寝に帰るようなものだし、
夫も勤めと夢中になっている趣味のゴルフで、一緒にリビングにいることはあっても、同じ時間を共有することは殆ど無い。
それに慣れてはいるのだけれど、
時々ふっと寂しくなる。
まるで「家事とペットたちの世話をする機械」のような自分に。
そして夢中になっていた趣味のサックスも、なんかいつの間にか「義務」のようになってしまっていて、
「寂しい」から逃げる為に吹いていることにふと気づくと、
吹くのにちょっと躊躇する。
誰もがきっとそんなものだ。
そんな事はわかってはいるのに、
いつだったか、ふっと「幸せだな」と見上げた夏の青空を思い出した今日の朝の犬の散歩から帰りだった。