昨日からどうも元気が出ない。
しかし不思議なもので、家事もペットの世話もリハビリも、機械的にいつも通り体は動いている。
ただ、さすがに口を開くのは億劫か、食べるのはいつも通りなのだけれど、喋らない。
どっちみち私に話しかける人というのも家族でさえいないに等しいし、
夫が一応たまに話しかけたりするけれど、「そう」で終わる。
「今更何を気にかける?」そんな想いが広がる。
娘が熱でも出したのか、昨日は私がリハビリから帰宅した時には帰宅していた。
とは言っても自室にこもっていたので会ってはいない。
ただリビングに風邪薬が置いてあったので「具合が悪くて休みに帰ったのだろう」と思うだけ。
体調を気遣い、長ネギと豚肉いっぱいの料理を作っておいた。
夜、私が風呂に入ってる間、自室から出て「美味しい」と言って夫と一緒に食べたそうな。
私が風呂から出た頃にはまた自室にこもっていた。
今朝ちらっと会っただけだ。
何が気に入らないのかわからねど、金や物が必要な時以外は避けているようなので、私も放置している。
彼女が高校生時代までは、よく一緒に買い物に行ったりもしたものだけれど、
そんなこともなくなってから6、7年経つ。
あれも洋服を買って欲しいからで、私は財布扱いだ。
今はその財布もあまり必要なくなったということだろう。
そう育てたのも、「そんな風に育てたつもりはない」と言おうと、結果そう育てたのは私なのだからしょうがない。
過去、夫が病気になったばかりの私に子供と自分の両親を任せ、単身赴任を勝手に決めたのも、
それが2度あったことも、
病気の妻を想う気持ちより「逃げたい」「一人暮らししたい」「自由になりたい」を優先させるに至ったのは、
「会社大事」「家族の為に働く」の大義名分ではなく、
本当は、私が夫にそっぽを向かれるような人間だったに過ぎない。
半分は夫の責任で、残り半分は私の責任だ。
半々の責任を、今になって互いに後悔しようとも、当時は当時で互いに精一杯だった。
捨てた夫も、家族から逃げて自由になりたい気持ちを抑えることが出来なかったのだろう。
「逃げたい」という気持ちに負けたことがある人間ならば、それは理解できる。
そして生憎私もその想いに負けたことがあるので、理解できるし、だから許せない訳ではない。
私も子供3人と押し付けられた厄介な夫の両親となんとかうまくやっていくことで必死で、夫の想いをつなぎとめる力がなかった。
それも又しょうがなかった。
気持ちに元気が出てこず、生きているのにも疲れを感じる。
急に涼しくなったせいかもしれないし、
姑の7回忌などの件で、再び私の中に夫の両親や親族とのトラブルの記憶が蘇ってしまったせいかもしれない。
そして、夫の弟の嫁も同様で、私と違って遠方ゆえ、夫の両親には年に2回会うか会わないかだったのに、
舅の名前を耳にするだけで、普段は普通なのに、精神不安定になるそうな。
で、義弟から「連絡は自宅ではなく、自分個人の携帯にしてくれ」と言われている。
夫の実家のことを思い出させるとどうも良くないらしい。
私にしてみれば「贅沢な話」ではある。
次男のとこは、立派な家を建てるのに大金を出してもらっている。
私には「夫の両親の老後の面倒をみるのだから、遺産はそちらに入るから、いずれは得をする」という話だった。
別にそれにのった訳じゃあない。
「長男の嫁」の当時の常識に従ったに過ぎない。
しかし結局私は逃げたので、そんな話は無いものとなった。
20年余り頑張って、ボロボロになった体が残っただけだ。
長男の嫁の私と次男の嫁の義妹で、それぞれの想いがあり、結局音信不通状態になっている。
三男は交通事故で若くして亡くなっており、そちらのお嫁さん達(三男は2度結婚している)とはやはり縁遠くなっている。
せめて、夫の実家近くに住み、実質的に舅の世話をしている夫の妹と親しく出来ればいいのだけれど、
夫が舅同様自分の血縁者を自慢する癖があり、妹自慢をするから、こちらもやはり面白くない想いが残る。
何処へいっても人間関係のゴタゴタはあり、「みんな仲良く」は難しい。
ほどほどの距離感、「いじめ」に至らない距離感が望ましいけれど、それが一番難しい。
それを気にしすぎると、今度は「避けている」になっちゃうし。
そういうことをあまり考えずにいた学生時代が今は懐かしい。
しかし今はその学生が自殺するようになっている。
大人になればもっと大変なのにな。
だから早めに終わらせたいか?
せっかくその後「いい時代だった」になる時期なのだから、そこで終わらせるのはもったいない。
逝くのは、もっと「最悪」になってからでいいさ。
悪いけど、「もっと最悪」は必ずきて、「あの頃に戻りたい」日に今は必ずなるから。
ネガティブなのかポジティブなのかわかんないけど、
何処に逃げようと、それは付いてまわるものだから。