協調性と争う世界

雲ひとつない晴天の3連休の中日、ようやく初詣に行った。

行った先は近所の不動尊。

日頃は人気がないのに、結構お参りの人で賑わっていた。


帰宅後、子供達は恋人のとこにお泊まりデートで留守なので、夫婦2人で地酒日本酒を飲みながらのランチ。

ちょっとした2度目の正月気分。

話題は老後の資金。

夫の定年退職まで2年を切った。

夫は定年退職後も最低65歳までは嘱託で勤める予定。


老後の話をする中で、夫はまだ未来を見ていることを知る。

私はもうこの10数年病気と手術との付き合いで、

首に関して言えば、難病を抱え、今の状態は頚椎3つが1つの骨になっている状態。

転んで首の骨を折るリスクは高い。

「うっかり転ぶ」そして「死ぬ」覚悟はすでに、そして常に出来ている。

その「うっかり死んじゃった」の為の準備も常にしている。

足腰も疾患を抱え、今の自分をどこまで保てるか日々の努力を要す・・・死にたい訳じゃあないから。

私は「明日はいないかもしれない」自分を静かに受け入れられるようにはなっているけれど、

夫がそれほど強い人間ではないことも長年連れ添って知っている。

色んな想いが錯綜し、「明日がある」と思って行きている夫との距離感を知る。

若い時ならば、その違いに悔しい想いを抱えたかもしれない。

今は、夫のそんな想いを出来るだけ守りたい、と思う。


「夫婦」って、若い時は、愛だの恋だの、だし、

次は子育てだし、

後半は「生き残る為の最善のパートナー」として縁あった者同士、と考える。


まぁ中には結構な高齢になっても「愛」だの「恋」だのって人もいるし、

我々にもまだそんな「時」があるのかもしれない。

若い人はそれを「色ボケ」というけれど、本人達にとっては「本当の恋」かもしれない。

いまはまだ経験していないし、このまま経験しないかもしれないから、わからない。

また男性はどう考えるのかもわからない。

同じ女同士だって個々人考え方は違う。

健康に恵まれた人なら、私の歳ならば、まだまだ未来を夢見るのかもしれない。

「類は友を呼ぶ」なのか、友達に健康な人はいない。

そのせいか?私の性格上の問題か?友達は少ない。特に多く持ちたいとも思わない。

誰に何と言われようとも「面倒くさい」が先にたつ。

知らない人とコミュニケーションを取ると、頭痛に悩まされる。

その頭痛に耐えるのも辛い。

もう「痛い」は懲り懲りだ。

もう十分だ。
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「友達がいない」にコンプレックスを感じさせるようにプレッシャーをかける人が世の中結構多い。

その口車にのせられて、「友達がいない」に卑屈になった時期もあった。

友達を増やそうと苦心した時期もあった。

そういうのにも今は卒業した。

そういう「日本人的」思考に「ならえ右」する時代でもない。

自分が「友達」を呼べる人間が、たとえ引越しなどの事情で物理的距離が近くなくなっても、1人でも2人でもいればOKなのではないかと今は思う。

でも、それだと「いじめ」に遭うそうな。

協調性が大事なそうな。

その「協調性」のせいで「争い」が起きるならば、

そんな「協調性」は間違いだ!と思うのは私だけか?



by sizhimi | 2018-01-07 15:43

頚椎後縦靱帯骨化症、腰椎4、5番は変性すべり症によりチタンボルトで固定手術済み、右脚人工股関節、腰椎椎間板ヘルニア手術済み、腰椎2、3番変性すべり症&両手親指付け根変形性関節症温存療法中とあまりの疾患の多さに自分でも忘れ、あきれている整形外科と縁が切れそうもない50代主婦の徒然日記。


by たまごふりかけS