そういう時期は体調を崩しやすい。
高血圧の夫はゆうべから鼻血が止まらず、午前中病院へ行っている。午後そのまま会社に出勤の予定。大事ないといい。
私は、昨日、例のいじめの件で、その上司・・・直属の上司ではなく、トップ。だって下っ端に何言ったってなかったことにされる可能性大だから・・・にまず電話でアポをとり、直接に会ってクレームを言う。
まず提言しておきたいのが、
よくいじめ事件が起きた時、学校側は「いじめと認識してなかった」、加害者側は「いじめてるつもりはなかった」と言うけれど、
被害者となる側が「いじめられている」と認識したときにいじめは正立する。
クレームと言うか、この私のことなので、結局説教になってしまった。
だって、相手が私より明らかに年上ならもう老人に含まれるし、老人をいじめるようなことはたとえ仕事と割り切っても良心が痛む。
また年下でも、まだ人生経験が自分よりは浅い若者(世間的にはもうおじさんでも、私にとっては若者。)に説教するのは、やはり良心的にしのびない。
何故なら、私は正論をぶちかまし、相手を論破してしまう癖が若い頃からあるから。
口が立つ。それを裏付ける知識も教養も頭脳もある・・・自分で言うのもお恥ずかしいが。
その正論は、あまりに正論過ぎて、相手に逃げ道を失わせる。追い詰めてしまう。
若い頃はそんな自分をある意味誇っているところがあった。
しかし、生きてく中で、何度も何度も挫折もする中で、それは決して得策ではないことを学ぶ。
現実社会では、グレーゾーンはどうしたってわりかし多めに必要不可欠なのだ。
白黒で明確に分けては生きづらい。
多々反省を重ねながら、「天然の、ちょっととぼけた、ちょっと変わった、優しそうなおばさん(お母さん)」を演じるようになった。
その方が成果は上がった。
子供達は心が萎縮することがなく、のびのびとその能力を伸ばすようになった。
そして「自分で考える」という力を身につけるようになった。
私は、自分がいじめに遭っていることに気づいても、鈍感ゆえに気づいていないふりをした。
するとまぁ相手もいじめ甲斐がないのか、それがエスカレートすることはなく、そのまま自然に距離を離して関わらないように誘導することが出来る・・・動かすのは私だ。
「目が悪い」キャラで、見えなかったふりをして無視することも出来る。
実は私は老眼と遠視なので、手元が見えないだけ(半径1mはぼやけた世界。メガネをかけないと見えてない。)。
遠視は眼精疲労を起こしやすく、それでよく頭痛が起きていたことが判明したので、
眼科で、遠視を強制するレンズと老眼を合わせた遠近両用メガネを作れるように指示書をもらっている。
裸眼の視力はおかげで両目1.2まで抑えられ、眼精疲労で苦労することは少なくなった。
そんな訳で、遠くからでも、実は「あっ、あいつだ
」とわかる。
でも「目が悪いキャラ」で、見えなかったふりをしたり、
声をかけられたら「ごめんなさい、目が悪くてよく見えなくって。」と惚けることが出来る。
以前、大手音楽教室にいた時に、サックスの師に「TさんはM(マゾ)ですね。」と言われたことがある。
いくらいじめられても辞めないからか?
「え〜、そうですか〜?」と笑顔でとぼけながら、
心の中では「馬鹿野郎!おめぇらなんかにこの私が負ける訳ねぇ〜だろ💢!」と思っていた。
ごめんなさい、私にははっきり裏表があります
話は元に戻り、代表者に会って、相手をよく見たら、たぶん同世代だった。
そうとなれば、自分を抑え込む必要はない。対等だ。
クレームが姉妹には説教になっていった。
相手がどんどん萎縮していくのがわかるが、もうこちらは止まらない。
しかし相手は最後の砦「謝罪」をしない。
「本人に確認をとって折り返し連絡させていただきます。本日本人が休日で、連絡が取れないので。」の一点張り。
こちらも長々と無駄な時間を使いたくないので、
言うだけ言ったら「器量なお時間を割いていただきありがとうございました。失礼します。」で席をたった。
作っていたキャラを脱ぎ、自分に戻ったら楽だったが、大人なので切り替えは必要だ。
それに、「他人を叱る」というのはエネルギーが必要で、もう疲れる。
若者みたいにエネルギーは余っていない。ギリギリで生きている(笑)。
この件で、「この人、実はゆるキャラじゃあない」となったようで、周りの態度が変わった。
それまでどうも舐めてかかっていたようだ・・・まぁこちらもそういう計算でキャラ作りしてたから
。
帰宅後、ハイボールをあおる。
それで肩に入った力を抜き、明日からはまた「ゆるキャラ」で行こう
だから。
だってその方が無駄なエネルギーを使わなくて楽だから。
「私、わかりませ〜ん。」ととぼけていた方が余計な仕事を任されなくて済むから。
腰痛いんだからさぁ〜、余計な事はしたくねぇ〜んだよ
と、よくよく自分を振り返ってみると、グレーゾーンを漂って生きてるなぁ〜、と思う