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お引っ越し2

来月(2011年9月)の今日はもう新居にいる予定。

引っ越しまで一ヶ月もない。

ぎりぎりまであれやこれや手続きもあるし、

一応仕事(内職?or趣味?)も引っ越し荷物まとめも同時進行。

うちのペット達のかかりつけ動物病院はご近所になるけれど、

私のかかりつけは変更するつもりはないのでちょっと遠くなる。

夫とのしっくりいかない関係も続いてるし、

娘は新居があまり気に入ってなくて、なにかとケチをつける。

今まで近かった次男夫婦の住むアパートが遠くなり、

たぶんめったに会うことはなくなるだろう。

長男は今年の春社会人になったばかりなのに、来年結婚するらしい。

婚約者の彼女とは大学で知り合い、交際始めて6年。

長男は大学院まで行ったけど、彼女は4年で卒業して社会人になったから社会人3年生になった。

遠距離恋愛の今、結婚を意識するのは当然だろう。



なんか、いろんな事で私は疲れた。



ドラムも、高年齢も手伝って、16ビートのFill inが手がもつれてうまく叩けない。

いくら練習しても手がもつれるところをみると、

「やっぱり50という年齢には勝てないか」と挫折しそうになる。


ダイエットも、体力がなくなっていくばかりで体重には反映しない。

体力がなくなった分、びっこがひどくなっただけのことだ。

今や電動アシスト自転車が戸外での私の足になってくれている。

「つえを利用したい」と言いさえすれば障害者認定が受けれて、あれこれと補助が受けれるそうだ。

市の障害福祉課の人が言っていた。

「まだ言いたくない」と断った。

まだプライドが邪魔をする。

「まだ私は若い!まだ歩ける!」・・・悔しさが私の中で叫んでる。


代表して対応してくれた介護福祉課の担当者が
「あまり頑張るとかえって余計に悪くなりますから」と言った。

わかってる。

私だって過去介護職に就いていたのだから。


ただ、

もう少し、もう少しだけ、頑張らせて下さい。
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by sizhimi | 2011-08-28 21:47

お引っ越し

ばたばたと中古分譲マンション購入が決まった。

あまりにばたばたと早急に事が運んだので、

なんか不安ばかりが募って、なんと表現していいのかわからない気分。

移転先は同じ市内。

いつも事を決めるのは夫なのだけれど、

決めると事の運びが早く、強引なとこは夫の父によく似ている。

夫の父(舅)のそういうとこが私はどうも苦手で、

若き頃の夫はそうではなかったので、

「お義父さんに似てなくて良かった。」と思っていたのだが、

まったく当てが外れた。

「歳をとると息子は父親に、

娘は母親に必ず似てくるから、

結婚は、決める前に必ず、その相手の親を見ろ!」と昔耳にしたことがある。

恋愛結婚が主流の今では、なかなかそれもままならない。


もともと腰と右股関節を痛めてる私は、しゃがむと立ち上がるのに容易ではなく、

故に、手すりがつけられるよう持ち家を希望した。

うちはすでに地方の夫の実家の敷地内に一戸建てを建てて所有しているから、

夫は今や賃貸派で、

「汚くなったら引っ越せばいいだけだから楽」と主張していた。

そんな夫は、私の「痛い」は無視していたし、

「痛かろうがどうだろうが、ダイエットになるから我慢して頑張れ!」派だった。

夫の会社の「役員の社宅制度廃止」が住宅購入のきっかけになり、

なんか、あれよあれよと事が運んだ。


何かが私の心にひっかっかっている。

多分、心がついていけないだけのことだと思う。

この部屋のベランダから見える景色が結構気に入っていた。

隣に住む気さくなおばさんとたまに顔を合わすと交わす会話が楽しい。

ここに越して来て、当初は家族皆仲良くて楽しかった思い出がある。

家族みんなで笑えた思い出がここにある。


ただそれだけのこと。


きっと新しい場所も好きになる。

きっと新しい場所で、又みんなで笑えるようになる。


きっと・・・。
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by sizhimi | 2011-08-26 15:03

ダイエット

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無理な運動はできないので、

ダイエットは食事療法に頼るしかない。

今までも、朝食と昼食はしっかり食し、

夕飯を最初に多量のサラダを食し、後はバランスよく低カロリーの食事をしていた。

汗は、毎日、趣味のドラム演奏で流していた。

しかし効果は見られず、

結局夫に、私の頑張りが足らないとののしられる結果となった今、

食事は全てサラダのみとなった。

でも、それだけでは、どうも自分が青虫にでもなったような気分になるので、

デザートに、家族がいないすきをみてヨーグルトを食している。

それでもなんか惨めな気分になる。

高校生の娘は、両親の喧嘩の原因は母親である私にあるといわんばかりに、

私に対して無視をきめこんだ。

確かに、私が太っているからいけない。

大好きなスイーツももう随分と長い間我慢しているのだけれど、

やっぱり私の努力が足りないのだろう。

なんか、生きてちゃいけないような気さえしてきた。

「お前のことを想って言ってやってるんだ!」の夫の言葉が、

本当は私の事なんか想っちゃいないのはわかってる。

本人だってきっとそれくらい気づいている。

ただ、デブが「腰が痛い」と言っているのにイライラしただけのことだ。


私の存在は、どうも家族をイライラさせてしまうらしい。
by sizhimi | 2011-08-18 17:26

悲しみ

私は太っている。

去年、夫が癌の手術で入院中、とにかく私は忙しかった。

不安から「寂しい」とメールをよこす夫の為に、

毎日、夫の入院先の病院に行った。

行くと夫はなかなか帰してくれなかった。

側にいても、ほとんど会話はしない。

それでも、がん患者ばかりの中に不安と共に残されることに夫は寂しかったのだろう・・・

私が帰ろうとすると「まだいい」と言った。

長年連れ添った夫婦ゆえに、余計な事は言わない夫の簡単な一言にこめられた気持ちは容易に察することはできた。



結局、病院を出るのは、ほとんど面会時間終了の20時近くだった。

自宅と病院は片道1時間。

高校生の娘は、私のしつけが悪くて、夕飯を用意して待っていてくれもしなければ、

自分だけでも何か作って食べてる訳でもなかった。

お腹をすかせてる娘を呼び出して外食しようとすると、

「お母さん、お金がもったいないよ。」とそこだけ説教する。

愚かな母は「じゃああんたが何か作っておいてくれよ。買い物に必要なお金は渡すから。」と言えない。

近くに住む次男夫婦に助けを求めたが、

「自分たちのことで精一杯」と簡単に断られた。

愚かな母は、ここでも恨み言一つ言えなかった。

その頃山形の大学院にいた長男にメールで愚痴をこぼしたら、

「お母さんが鬱った変なメールをよこして気持ち悪い、と友達と話してるんだ。」と言われた。

長男は見舞いにも、助けにも来てくれなかった。

それでも愚かな母は仕送りを欠かさずしていた。


辛くて、それまで嫌いで食べなかったポテトチップスをつまみにビールを毎晩飲んでいた。

で、あっという間に10kg太った。

もともと3年前の腰の手術で、腰はサイボーグ人間状態。

手術時より10kg太って、耐えきれなくなったのか、また腰が悪化し、今度は右股関節まで悪くして、何かにつかまらねば立てなくなった。

事の重大さに気づき、もちろんポテトチップスもビールもやめて食事療法したけれど、

これが、歳とって新陳代謝が落ちたせいか、まったく痩せない。

かくして1年あまりがたってしまった。


メタボだった夫は、退院後、食事療法と運動ですっかりスリムになって、かえって健康になった。

で、最近はその自慢がややうっとおしい。

その上、今晩、
「いい加減痩せろ!食事療法と運動すればいい。これはお前を思って言ってやってるんだから喧嘩になっても俺は言う。」
と言いだした。

食事療法はしてる。

夕飯は私はいつもサラダだ。

夫はそれを見てる。

運動は、ひたすら家事をきちんとこなしてる。

こんな「痛い、痛い」でびっこで、どんな運動をすればいいというのだろう?

理学療法士さんのもと、病院のリハビリにはきちんと通院して安全にリハビリしてる。

もう右股関節が駄目になっているから、健常者の夫のような運動はできる訳もない。

なんとか人工股関節の手術を受けずに済むように筋肉をつける簡単なリハビリ運動がメインだ。

へたな事をして、動けなくなったら、それこそ家族に迷惑をかける。

家族の重荷にはなりたくない。

だから頑張ってる。

それを夫もわかってると思っていた。

家中を見渡せば、私が、この体で、家事の手抜きをしてないことなど容易にわかると思っていた。

ドラムも、ただの趣味ではなく、

バスドラを踏むのに右足を上げたり下げたりするから、

音楽に合わせて楽しみながら毎日できるリハビリだった。

夫はそのことも知っている。



悔しくて、

悲しくて、

涙が止まらなかった。



これが私が自分の体も心もぼろぼろにしてまで頑張って作り上げて来た家族だ。
by sizhimi | 2011-08-15 23:22

お盆休み

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8月13日は「迎え盆」です。

今年の我が家にお盆で帰省する子供はいない。

今年の春から社会人になった長男の会社の夏休みは、お盆をはずしてか、8月上旬にありました。

長男がうちで過ごしたのは一泊二日。

9日間の休みのほとんどは、交際して7年目になる恋人と過ごしたみたいです。


夫は、例年、長男の帰省に合わせて夏休みを4日ほどとっていたのだけれど、

今年は特に夏休みをとる必要もなく、

平日にまで家にいられても、かえって私が暮らしづらいし、

故に、頑張って出勤して欲しいのだけれど、

「みんな休むから」という理由で、この土日にくっつけて月曜日に休むらしい。

おかげで、なんとなるブルーな気分。


へたに口をきけば喧嘩になるし、

だまって同じ部屋にいても空気が悪い。



こんな夫婦が残りの人生を共に暮らす家を探してること自体不自然な気がする。
by sizhimi | 2011-08-14 01:21

株式投資

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今日は珍しく仕事の話。

仕事といっても、へそくりを動かしてる程度の趣味の株式投資である。

まあ、それでもお金がかかっていることなので、やってる時はもちろん真剣。

市場が始まる9時から閉まる15時までは、パソコンで株価をチェックしながら家事。

時にはどんとパソコンの前に座り込み、次の打つ手を考える。

やみくもに手頃な株や有名どころの株を購入しても、

稼げても微々たるもの。

故に情報収集は欠かせないのだけれど、

この情報が早すぎる場合もあれば遅い場合もあって、

要するにタイミングを外して稼ぎそこねる事も多々あります<(~、~)> チェッ!

3.11の震災以後、株価は非常に不安定で、

そんな中を、なんとか日々、内職程度の稼ぎを求めて頑張っておりました(⌒o⌒;A


7月中旬頃から株価はほぼ安定した低空飛行状態に入り、

どうにも手のうちようがない。

で、思い切って8月は「お休み〜(_´Д`) アイーン」と決め込んだ訳です。


ですが、「お休み」といったって誰かが遊んでくれる訳でもない。

旅行に行く金もない。

趣味の散歩には暑すぎる。


で、そろそろ、ぼちぼちと活動しだしました。

ドラムの練習も頑張りたいので、ぼちぼちですがね。

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by sizhimi | 2011-08-10 23:40

face book

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大学時代の仲間の一人がface bookで私を見つけて連絡をくれた。

ずっと探していたそうだ。


昔流行った歌『学生街の喫茶店』(このフォークを知ってる世代は40代後半以上と限定されるだろう)のように、
卒業して、皆別れ別れになることは認識していても、

なんとなく漠然としていて、

社会人になっても、なんとなく今まで通り、夜は居酒屋で愚痴でもこぼし合うような気がしてて、

「じゃあね」で別れて、

そのまま、それぞれが、自分の世界を生きるのに精一杯で、

「じゃあね」から30年近くたってしまっていた。


卒業後、しばらく勤め人をした後独立して20代で会社をおこした彼は、

今もその会社の社長として頑張っていた。

「仲間と会社をおこす」という葉書をもらったような記憶があるような、ないような・・・。

思い起こすと20数年なんてあっという間だった。


会社のホームページに載ってる写真の彼は、

すっかりメタボで、

ふさふさあった髪の毛は寂しいことになっていた。



「同窓会をしよう!」とメールしてきたが、

今の私では惨め過ぎて会えない。

せめてもう少し痩せたいし、

鬱々とした死んだ魚のような目もなんとかしたい。

何より、

私立大学の勇として名高い大学の卒業生としては、

自慢できるものなんて一つもない今の自分は、あまりにも情けなかった。

当時、それなりに輝いていた女子大生だった自分を、

そのまま記憶の中にとどめておいて欲しい。


夢と希望と美しさで輝いていた女子大生だった自分を。
by sizhimi | 2011-08-09 17:47

亡き母の思い出と猫の恩返し

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私が50歳になって一ヶ月がたった。

いつからだろうか、私には51歳が見えなくなっていた。

45歳の時、当時趣味だったウォーキングをしながら「あと5年だ」とカウントダウンを始めていた。


私の母が亡くなったのが、彼女が51歳になる3ヶ月前だった。

その年、私は夫と結婚式をあげた。

ちょうど母が入院中だったので、式は母が退院してからがうちの側の希望だった。

しかし、「長男に嫁がくる」でうかれた夫の父や親戚が式場選びから日取り、その上花嫁衣装まで勝手に決めてしまっていた。

「しきりや」の夫の父とその親族を止めることは、まだ24の当時の私にはできなかった。

実の息子である夫はあきらめていた。

式場の場所は夫の実家の群馬で、

私の出身地の東京からも、

夫と私が勤める会社の所在地の同じく東京からも、

私の父の親戚が多くいる新潟からも距離があった。

さすがに母の親戚は気を悪くしたのだろう、誰も来てはくれなかった。


結婚式の写真を見て、「美男美女のカップルだね」と電話口で母が言った。

母に会えなかった。

会わす顔がなかった。

それでも、まさか永遠に会えなくなるとは当時は微塵も考えもしなかった。



母は無事退院した。

しかし、「美男美女のカップルだね」が私が聞いた母の最後の声となってしまった。


そんな事をふと思い出したのは夜中だからだろうか。

もし、来年の今日、あると思えずにきた51歳の私がこのブログの前にいたら、

その時は、きっと今までとは違う私がいるような気がしている。
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「しじみの恩返しがきっとある筈だ」と口癖のように夫が言うが、

この2匹の猫達(しじみ&あさり)の恩返しが、私への51歳の誕生日であることを密かに願っている。
by sizhimi | 2011-08-09 00:50

飛んではじけて消えて

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50年生きて来てわかった事・・・

我慢は我慢で終わる。
いくら我慢したって望みは叶わない。

夢は必ず散る。
実現できる人はいるのだろうけど、氷山のてっぺんで、残念ながら私はそういう人と知り合ったためしがない。

楽しい、は必ず終わる。
終わった後は、祭りの後のような寂しさだけが残る。


そして、残念ながら、私は「その他大勢」の氷山の最下層の人間だということ。

生きてるから今日も生きている。

生きてるから、今日も朝から日常の決められた行動をとっている。

「別に死んでもいいや」と思いながら、

いざ癌にでもなったら悲壮感いっぱいなんだろう、と思う。

現に夫がそうで、

悲壮感いっぱいの後は、不安からくるイライラを妻である私にぶつけ、

おかげで私は、当初は頑張っていたけれど、すっかり疲れて、

ストレスでぶくぶく太り、ただ悲しく、猫の世話で癒されるだけのおばさんになってしまった。

もちろん夫婦関係は実質破綻しているのだけれど、

とうの本人の夫は、メタボも解消され、高血圧の薬からも解放され、がん検診ではいつも無事で、結構楽しそうである。

それでも、いざとなると「癌が再発したら死ぬんだ」カードを振りかざす。

「いっそう再発して死んでくれ。そしたら、遺族年金で、猫と穏やかに生きていく。」と心の中でつぶやくけれど、どうも再発の兆しはないようである。


まあ、そんな日々だけれど、一応、なんだかんだと中古住宅購入に動き出すこととなった。

残りの人生もせいぜい20〜30年なのだから、

今更多額の借金してまで新築を購入する必要もない、というのが中古住宅に限定した理由。

夫曰く「俺は癌が再発していつ死ぬかわからないから、借金はしたくない。」


(いっそうさっさと死ねばいい。)


それでも住宅購入という夢が見れるのは有り難い。

すでに群馬に一戸建ては持っているけれど、

夫の実家の庭にあり、

夫の両親の言うままに建て、

ただ借金だけを背負わされた「悪魔の家」だし、

あそこに戻るなら、「嫌がらせに、あの家で首を吊ってやる!」といったところ。


夢なんて、いずれははじけて消えるけど、

それでも、しばし、かすかな淡い夢を楽しんでみよう。
by sizhimi | 2011-08-08 09:39

中高年夫婦

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昨日来た長男は、今週で夏休みも終わりだと、一泊して今日帰っていった。

娘は友達と祭りに出かけた。

夫と二人の夕飯タイムは、特にしゃべることもなく、

一言二言、夫の母親の癌の具合の報告を受け、

「まあ、癌でもならなきゃ今は死ねない時代だから。逆に、癌になったおかげであれこれ治療するから、年寄りはかえって長生きする。」
と語り、

風呂に入る準備の為にさっさと席をたった。



同じ二人っきりの食卓でも、26年前の新婚当時は、ただ一緒にいられるだけで楽しかったような記憶があるが、あまりに遠い。

なんでこうなってしまったのか、理由を一つ一つあげればきりがない。

多分、言い分は、お互い違うのだろう。

「私は頑張った。」

「俺は頑張った。」

子供を育て上げた後の、穏やかで仲の良い中高年の夫婦は、テレビコマーシャルの中だけの理想の夫婦像にすぎない。

でも、その理想は確実に現実になるものとの思い込みで頑張った結果が、

今の私たち夫婦だ。


つらいな。


あと20年生きるのか、30年も生きちゃうのかわからないけど、

新聞を開いても、

テレビをつけても、

現実の世界に目を向けても、

どこにも明るい老後を夢見させてくれる要因などは見つからないのが現状です。
by sizhimi | 2011-08-06 19:42


頚椎後縦靱帯骨化症、腰椎4、5番は変性すべり症によりチタンボルトで固定手術済み、右脚人工股関節、腰椎椎間板ヘルニア手術済み、腰椎2、3番変性すべり症&両手親指付け根変形性関節症温存療法中とあまりの疾患の多さに自分でも忘れ、あきれている整形外科と縁が切れそうもない50代主婦の徒然日記。


by たまごふりかけS

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