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そこまでいくと笑います

「これでもか?!」とまるで何者かから試されているような気分。

というのも、

今週は月曜日に担当医から首の手術の話があり、

火曜日にMRIとCTの検査に行き、

まぁ思考の転換により前向きになって迎えた昨日の水曜の朝、

着替えるに、コルセットをいったん外したら、

腰の、手術痕があたっている箇所が膿(うみ)でべったり汚れている。

驚き、夫に見てもらうと、傷口が赤く炎症を起こし、膿が出ているとここと。

いつも痛くて仰向け姿勢がきつかったのだけれど、それでも「傷口は綺麗だ」を皆言うから安心していた。

前の晩は特に痛かったけれど、先週の月曜日の担当医の診察時、「傷口はもう綺麗だから大丈夫ですよ。」と言っていたから、

まさか今更炎症を起こし、まさか膿が出るとは想定外だった私。

その下には2008年の固定術で埋め込んだ金属(でっかいボルト)があるし、ちょっとずれれば人工股関節も入っている。

それら金属に雑菌が付着したら面倒なことになる。

慌てた。

夫婦して慌てた。

「傷口にちょっとでも異常が見られたら即病院へ」との指示はF整形で受けている。

よって即F整形に飛んで行った。


担当医は水曜日は他へ言っていて外来診察は休み。

一応部長さんが診てくださり、

まだ表面だけだから消毒と抗生剤服用で今は大丈夫、とのこと。

奥(金属箇所)までいくと何ヶ月か入院だから・・・とやはり脅される。

傷口に貼ったガーゼに膿が染み出してくるようならまた消毒にくるように、とのこと。

当面、入浴もシャワーさえも禁止となった・・・濡らしちゃ駄目!らしい。


踏んだり蹴ったりの気分だった。


夫も私を可哀想に思いつつ「なんでこいつ、こんなに弱いんだ???!」と驚いたそうな。

そんな夫は、私を自宅に連れ帰ると、そのまま会社へ行った。


30年以上前に亡くなった母も体が弱かった。

肋間神経痛で松葉杖をついていたそうで、しょっちゅう発熱しては学校を休んでいたし、行っても体育の授業は参加できなかった・・・と私が小学生の時に母から聞いた話。

私が中学2年になった時から母は入院しちゃったから、母との思い出はそれまでしかほとんど無い。


「これでもか!」と次々とくる災いに、もういい加減疲れたし、茫然自失。

母が自ら死を選んだ理由も、なんとなく理解できちゃったりする・・・けど、理解で止めとこう。


気分は、誰にも会いたく無い。

健康な奴らのご機嫌なんか、とってらんねーよ133.png

さすがに、もうそんな余裕なんかね〜よ136.png

なんで膿(うみ)だよ?!想定外だろう143.png。手術したのって(そこを切ったの)3週間前だよ。


なのに・・いや、だからか?そんな私はせっせと洗濯機をまわし、家中コロコロして周ったり、

夫がくしゃくしゃにして箪笥に入れていた冬物衣料を整理したり・・・なんで奴は「たたむ」ということが出来ないのだろう?くしゃくしゃに詰め込んだらシワになって、着た時にみっともないし、そのままの状態で夏をこせばカビが生えるのに。結局奴はそのたんびに新しい衣料を買うのだよ、カードで133.png。ならば、稼げ!もっともっと稼げ!もっと収納の多い広いマンションを住み替え購入できるくらい稼げ!!136.png


夕方、実家の父からお中元のお礼の電話があった。

80の父に心配をかけたくないので、私の体のことは言っていない・・・昔「なんでお前はそう体が弱いんだ?!」と叱られたから。それって私だけのせい?って感じで理不尽にしか思えなかった。

父は私が元気だと、孫達も元気で、夫ともうまくやっていて、とても幸せに暮らしていると喜び、老人会で自慢している。

父が頭を悩ましていた、私の弟のとこの長男もこの春社会人になり、なかなか良いすべり出しらしく喜んでいた。

父とはぶつかることが多いし、苦手なとこは多いけれど、それでも実の父親だ。

母のことで長年悩み、ずっとやもめを通している高齢の父に心配をかけたくはない。

多分、いつもよりワンオクターブ高い声で「元気」と「明るさ」を振りまきながら電話でおしゃべり。

そういう時の方が父に優しくなれた。

ふと「犬や猫もそうなんだろうな。飼い主に心配かけたくなくて、具合の悪い時の方が元気に振る舞うんだろうな。」と思った。




早寝して、早く目が覚めてしまった。

背中(腰部)の傷口が痛む。

グロいのを見るのは苦手なので、身支度はしておき、夫が起きたら傷口に貼ったガーゼを見てもらおう。

膿が染み出していたら消毒に病院へ行かねばならない。

さっさと用を済ませて、午前中一人カラオケにでも行ってみようか。


さすがにここまでくると、サックスにこだわってもいられなかった。

第一、首の手術となると、何ヶ月かは頚椎カラーをしてねばならないし、頚椎カラーをしたままでサックスを吹くのはかなりの芸当だ。

もし知人がそれをやっていたら、「それが外れるまで休んだら?」とこの私だって言う。

内心「そこまで執着したらアホやん」と思う。


普通自動二輪だってやめるよ。

教習所に連絡して、いくらかの返金手続きの手配をせねば。

まぁ今頑張らなくてもいい。

今はそんな気分になれない。

「これでもか!」って想定外に襲われる私が、いつそんな気分になるのかも不明だけれど・・・。

誰かと約束も出来ない。

一体いつ想定外がくるかわからないから、ドタキャンしちゃう可能性が高く感じる。

こんなに整形外科とご縁があるならば、整形外科医と結婚したらよかったんじゃあないか?・・・病院外で出会わなかったけど。


ここまでくると、落ち込むことも悩むことも涙することもなくなる。

何故かひたすらおかしい。笑っちゃう。

笑うしかないよ。

だって、おかしいよ、これ。

まるで漫画かドラマじゃん。


感情が、「あきれる」「笑う」以外の選択肢を見つけられない。

でも、顔も知らない誰かと関われる程の心の余裕はなく、インスタグラムは放置状態。

顔を知ってる奴がかかわってきたならば・・・あたる。

現に、な〜んも関係ない置き薬の営業さんが点検&集金のために電話してきたら、あたってしまった。

「赤の他人にあたる」なんてことしたことなかった私だから、長年連れ添って私をよく知っている夫も驚いていた。

置き薬屋の兄さん(そんなに若くはない。40代半ば。でも頭髪がないばかりに老けて見える。)には申し訳ないけど・・・空気読めよ!!何年営業やってんだよ?!といったところ。

つくづく自分の器の小ささを知り、やっぱり笑う。



by sizhimi | 2017-06-29 06:09

実は煽て(おだて)に弱いのです

今日はMRとCT検査のみで通院。

行きは、車もスクーターも自転車も今は乗ることを禁じられてる事情から、ここのとこはタクシーを利用していたのだけれど、

小さな冒険で、バスを乗り継いで遠回りして行ってみた。

「冒険」とは行っても、ちょっと前まで車で通り慣れた道である。

ただ、今まではバス停が目的地以外は気にもしなかったものを観察できて、我が街をより知ることが出来た。

そして、私達が払っている税金はいったい何処へ行っているのだろう?・・・と思うくらい、F市の道路事情は一向に改善されないことを再認識した。

千葉県自体、交通事故数が全国ベスト3に入るのに、

その中でもF市はベスト1である。

その上、市役所に何かを問い合わせると「ホームページをご覧ください」と言うのだが、

そのホームページがとても難解で理解しにくくなっている。

えっ?私の知能が低いから?

いえいえ、これでも物の読み書きもパソコンの操作もセミプロ並みなんです、実は。

だからこそ言える。

本当に伝えたいことは、読やすく、読みたくなるように、又ガキでも結構ボケてきたかなりの高齢者でもわかるように書こうよ、作ろうよ。

こんな負の感情のゴミ箱とは訳が違う。

「私賢いのよ」を自慢するような作りは止めなよ!!

もっと市民が見たくなるようにホームページは作ろうよ。

おい!千葉県は船橋市、お前だよ!!

「伝える」ってことの意味、間違えんなよ!!

未熟者め!!


でもさ、あれ、実はワザとだろ?

市民が読まないように作ってるよね?

見え見えなんですけど。

そういうのよそうよ。





昨日ブログを書いた時は、首の手術に関して、まだ動揺していた。

しかし、ここに負の感情を書き捨てたおかげで、発想の転換ができ、

今はとてもすっきりした気分でいる。

12年私を悩ましてきた「イボ、ウオノメ」を削り取るだけの話だ・・・そう思えばいい。

終わりでもあり、始まりでもある。

「終わり」も「始まり」もまた新しい刺激をもたらすし、明るい未来をもたらす光を見せてくれる。

私は、そういうの結構好きだ。


あの「ウオノメ取り」を思い出した。

昔(30数年前)、まだ現場に出ていた夫の足の裏はウオノメだらけだった。

帰宅すると疲れてダウンしている夫の足の裏に、私はせっせと「ウオノメ取り」を貼ったものだ。

そしてそれを数日後に剥がすと、ぽっこりとウオノメが取れる。

それが妙に快感だったのを思い出した。

足の裏のあちこちにぽっこりと穴がある。

しかし、その穴を又ウオノメが奥から出てきて塞ぐ。

ウオノメ取りの繰り返しで、その根っこまで取ってしまえば完治。

夫の足の裏のウオノメは結構根が深かった。

そういう経験をさせてくれて、思い出させてくれた、夫の存在に感謝!162.png


まだ20代半ばの二人を思い出した。


な〜に、私の首もちょっと大げさなウオノメみたいなものさ。

大きくなって飛び出してくれば取ればいい。

取るには首を切らねばならないが、医療はかなり進んでいる。

首の手術なんて、昔ほどリスクはない。


手術となれば、しばらくは私の苦手な頚椎カラーをしての生活になるし、

いくらソプラノサックスに転向する、と言っても、

あの頚椎カラーをしている間は邪魔で吹けやしない。

その頚椎カラーも私が持っているのはもう古いタイプのようで(2006年3月購入)、

病院で見かける最近のものは、そんなにデカくない。

比較的若い女性の方は、それをお洒落に身につけている・・・色んな柄の頚椎カラーカバーが通販などで簡単に購入できるようだ。

時代も変わったものだ。

手術が正式に決まった時点で、買い換えよう。




おまけに、検査からの帰りはさすがに疲れたので、タクシーを使ったのだけれど、

そのタクシー運転手のオヤジが結構調子良くて、

しきりに私を「いい女だ。明るいところがいい。もてるでしょ?」などと煽(おだ)て続けてくれた。

お世辞だとわかっていても、そこは女、嬉しいものだ。

それも、この歳になると、下手に「綺麗だ」とか「美人だ」「若く見える」より「いい女」と言われた方が嬉しい。

だって、実は自分を「いい女」だと思ってるもん109.png・・・あいにくモテはしないが。

夫も早々と引退しちゃったので、夫存命中でも未亡人みたいなとこあるが(笑)。

浮いた話の一つでも欲しいものだ127.png

などと下ネタを入れてみるのも、私が機嫌がいい証拠だったりする・・・実に単純だ。


機嫌が良い勢いで、これをUPした後は、夕飯用に、夫の好きな煮物を作ろう。



by sizhimi | 2017-06-27 16:36

負けなければいい

病院から帰宅した。

まっすぐに帰宅した訳ではない。

カラオケ屋で10年ぶりくらいに一人カラオケをした。

なんか途方にくれていたから。

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首も骨化症も両手の親指付け根の変形性関節症もアウトだった。

首は間違いなく「頚椎後縦靭帯骨化症」で、すでに神経障害があちこちに出すぎていた。

手指脚足の痺れのみならず、不思議に思っていた咳も吐き気も膀胱障害(頻尿)も歯茎も視力(最近メガネの度が時々合わず見えづらい)も、

骨化した部分が大きくて、脊髄神経をかなり圧迫していることより起こっている症状と見なされた。


両手の親指付け根の変形性関節症はアウトとは言っても、ギリギリセーフでもある。

その箇所は人工関節がなく、手術は固定術になるので、日常生活に不便を生じるから、最終手段。

今は今まで通り湿布とテーピングで手術に至らないよう保護した方が賢明とのこと。


首はその悪化具合で手術法が変わるそうで、うまくすれば今診てくれているF整形外科の担当医K医師(脊髄脊椎病専門医)が出来るとのこと。

難しければ、よりより手術法を選択し、千葉大学か九段坂病院に紹介状を書く、とのこと。

K医師はもとは九段坂病院に勤務していたそうで、知っている医師がいるとのこと。

そしてそこは前方術だそう。

千葉大学は後方術だそう。

多分そう言っていたかと記憶している。

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人はあまりにショックだと、全ての感情が何処かへ飛んで行ってしまうらしい。

テレビドラマのように泣きわめいたりしない。

「もう手術は懲り懲りだ。したくない!」なんて感情もどっかへ飛んでった。

どちらかというと「そして僕は途方にくれた」って感じ。

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手術を見越して、早速明日MRIとCT検査が入った。

その結果をみて、来週の月曜日に今度のことが決まる。

これ以上手術を遅らせれば、残る後遺症は大きいかもしれず、それも明日の検査次第。

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昔、夫が直腸癌の手術後、「5年間俺は執行猶予中みたいなものだ。」と口癖のように言っていた。

その言葉を耳にする度私はつらかった。

同じように、とりあえず私はこの一週間は執行猶予中みたいなものだ。


そして、後縦靭帯骨化症が指定難病ゆえ、そして今は首だけだけれど、大抵の人が首と腰両方なることから、

今後腰部もそうなるリスクは抱える。


そして治らず、骨化部分が大きくなって脊髄神経を圧迫しだす度に、切って、そこを削るのみが繰り返される。


それも又老化現象か?

私まだ先が長い気がしてるんですけど148.png


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どうして誰ももっと早く対処してくれなかった?

「リハビリしてろ!」じゃなくて、ちゃんと対処できる病院へ紹介状を書いてくれなかった?

ちゃんと私はお願いしたのに。


F整形だって、K医師の前に、同じ脊髄脊椎グループのU医師に診察を受けた。

やっぱり「リハビリしてろ!してれば良くなる。」だった。

ちゃうじゃん!133.png


過去偏差値が高く、そのステータスシンボルとして医学部へ行き、医者になった人達は、

「患者を救おう」なんて気持ちは持ってはいない。

あるのは自身のプライドを守ることだけ。

その犠牲になった患者はどうする?

「運がなかった」であきらめるしかない?


「別に死ぬ訳じゃあないから。」と以前かかりつけだったSクリニック(整形外科&ペインクリニック)の院長S医師は言っていた。

死ぬのは嫌だけど、生き地獄も嫌だ!!

ぼ〜っとお気軽に信じてた私が悪い?

私だけのせい?


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誰かを責めたところで、何かが変わる訳じゃなし。

誰かを責めることで、心が負の感情に支配されるのは好まない。

そんなの散々経験したから。

大事なのは自分が幸せであること。

それには「許す」は必須を学んだ。

「恨み」って感情はとても厄介な夜叉だから。

なんて偉そうな事を、日々このブログに愚痴を書き捨ててる私が言えた義理じゃないのは承知。

でも捨て場所がないと、たまっちゃうから・・・心の中にたまっちゃうから。

そしたら幸福感を失っちゃうから。


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呆然とした空っぽの感情を抱えたまま、そのまま直帰して一人で自宅にいる気分にはなれず、カラオケ屋で、次々と曲を入れては歌っていた。

とりあえず、世代が世代なので、ユーミンの曲なら皆知ってるから、上手かろうが下手であろうが、どうせ一人カラオケなのだから気にせずに済む。


歌いながら、そんな時なのに、サックスのことを考えていた。

辞めざる得ない状況、状態なのは分かっていた。

家族にかける負担を思えば、そして出来るだけ手術の回数を減らすには、辞めた方がいいのもわかっていた。

辞める決心をしようと思った。

どうせ趣味だ。

子育てが終わったおばさんの趣味に過ぎない。

私が辞めようと、誰も困らない・・・師の生徒が一人減るけれど、どうせその穴はすぐ埋まるだろう。

私が存在したことなど、すぐに忘れられるだろう。


でもね、誰かにとってどうか、なんて私にとっては問題じゃあなかった。

今の私には希望が必要だった。

でなければ母の二の舞になる気がした。

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首への負担を考慮して、重量1kg前後となるソプラノサックスに転向し、また一から学びなおそう。

重量を減らしたところで、しないよりは手術回数を増やす結果にはなるだろう。

親指付け根の固定術を受ければ、ソプラノサックスだって吹けないかもしれない。


でも・・・「でも」ばかりで申し訳ない・・・どんなに切り刻まれようと、やっぱり私は続けたい。

何故?・・・わかんないけど、しがみつきたい。

もう諦めたくはない。

家族に許しを乞うた。

続けさせて欲しい、と許しを乞うた。

返事はない。

そりゃそうだろう。

「死ぬ訳じゃない」だからこそ、簡単に「いいよ」とは言えない。

レッスン中事故が起きたら責任問題だから、師も指導するとは簡単には言えないだろう。

そちらもかなりの覚悟は要る。

もしレッスンを受けられないなら、独学しかないと思っている。

誰かを悪者にする訳にはいかない。


ソプラノサックスはアルトサックスのようにメジャーじゃあなく、情報が少ない。

独学もなかなか難しい。


まぁ少しずつ・・・だね。

死ぬまでにはなんとかなるだろう。


そうさ、物事はなんとかなるものさ。

いずれは笑い話になるものさ。


今度、足がある時に、今持ってるアルトサックス2台を下取りに出して、ソプラノサックスを購入しよう。

どうせもうアルトは吹けない。

他にももう必要となくなった物は売ってしまおう。

そしてなんとか手に入れよう・・・YANAGISAWAのソプラノサックスを。


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大丈夫。

今までだって「もう駄目だ」と思うような場面を乗り越えてきた。

私はこれでも結構しぶとい・・・父の血のおかげだ。それだけは父に感謝する。

勝たなくてもいい。

負けなければいい。



by sizhimi | 2017-06-26 17:36

不良品の私

ゆうべは今日の通院に備えて早く寝た・・・で、早く目覚めすぎた。

2度寝する時間はあるのだけれど、やはり緊張からか、落ち着かず、

担当医に何を質問し、何を依頼するかをメモしてまとめる・・・余計に緊張するだろう。


今日の予約はしていない。来週の予約だけれど、それは今回の腰の手術の術後経過を診るもの。

腰との合わせ技だと、「うちは骨化症の手術はできないから。」の理由でスルーされて終わってしまう・・・幸い腰はまだ骨化していない。

ならば出来る病院・・・私としては品川志匠会病院(しながわししゅうかいびょういん)もしくは九段坂病院を希望・・・への紹介状を書いて欲しい。

F整形外科に通院する前に長年お世話になっていたS整形外科クリニックでは、「首の手術はリスクがある。手指が動かなくなるまでダメ。まだその段階ではない。」で、断固として紹介状を書いてはいただけず、過去の検査データもいただけなかったので、2016年3月から通院をやめた。

検査データは私が金を払った私の物なのに、私の所有物にはならないのか?

病院の所有物として管理され、一切の貸し出しさえも禁止されるならば、検査料金も無料にして欲しかったところだ。

法的なことはわからないし、調べたところで、戦う気は私にはない。

そんなテンション上げねば出来ないようなことは疲れるからしたくない・・・低血圧の私がテンションを上げるのはなかなかの苦労なのだ119.png

やる気スイッチがどこにあるのか今だにわからない。


そんな私でも、なかなかサックスを諦めきれず、

では、難しいのは重々承知だけれど、アルトサックスより軽く重量が1kg前後となるソプラノサックスならば、体への負担を軽減できるのではないか?と考えた。

さっそくネットで調べてみる。

ただ、アルトやテナーなどに比べると情報量が少ない。

少ない情報量の中で、私の力量と合わせてどうか?が見えない。

師にメールで問い合わせてみる。

今回は早急な返答を求めた。

あちらにとっては迷惑であろうと、こちらにとっては今後の希望となり、モチベーションを回復する契機となる可能性を秘めた事案だ。

そうそうあちらの迷惑ばかりかまってもいられない。

皆我が身大事。

精神的プラス要因は、肉体にもプラス影響をもたらすことはよく知られている。

専門医の所見をいただくまで決断は出来ないけれど、

今は出来るだけ精神的プラス要因をより多く集めたい。

必ず今後に役立つ筈・・・「今後の治療」といったん打って、「治療」できない病気だった、対処療法として手術があるだけのものだと打ち直す。

他人の顔色をうかがって、傷つくのを恐れて、どこかへ逃げ込むのは止めよう!と決意する。

ちゃんと向きあおう、と決意する。

それには私に欠落している「自信」をつけてあげた方が、より無理なきよう思う。


無理をすれば歪みが生じる。

それは精神面に及び、マイナスがマイナスを引きつけ、雪だるま式に大きくなる・・・どうも磁石とは逆の現象を起こす。

そんな風に私は理屈でしか物事を把握できないし、理屈で処理しようといったところがある。

それを私の欠点として指摘した人がいた。

頭でっかちなのは今更治しようもない。

10代のほとんどを「お勉強」「受験勉強」で過ごし、日曜日は3歳から18歳まで1日絵画教室で缶詰になっていた(油絵。展覧会出展用を描く。)。

友達は皆お勉強が好きな人、出来る人で、共通の話題はやはり「勉強」だった。

思えば「恋バナ」なんてした記憶がない。

たった一度、親友のSちゃんが好きだった1学年上の先輩・・・Sちゃんは放課後の音楽室で先輩にバイオリンを教わっていた・・・が、

大学受験に失敗し、浪人した。

その春、私に「家庭教師をさせてくれ。無料でいい。」と電話してきた・・・「自分も教えることで勉強に役立つから」とのことだった。

親友が恋してる人なので断ったのだけれど、結構しつこかった・・・割と強引な人だったんだな、という印象だった。

てっきり後輩の何人かにそうやって営業をかけているんだと思った・・・私はそのうちの一人にすぎないと思っていた。

で、お馬鹿な私は、当時Sちゃんを含めて5人組の仲良しグループだったのだけれど、その話をしてしまった・・・今思うと自分の鈍さに腹がたつが、今だに私は鈍いところがあるらしい。40年たっても改善されないのだから、そういう機能がもともと備わっていないのだろう。

結末はおわかりかと思うが、先輩がそういう声かけをしたのは私だけだった。

Sちゃんがいきなり泣き出してしまった・・・以後卒業までの1年間、なんとなく距離が開いてしまった。


私からすれば、もしSちゃんが思うようなことならば(先輩はいつもSちゃんとつるんでいた私を好きだった)、

きちんと順序立ててその思いを率直に告げていただきたい。

「今後も君と縁をつなげていきたいが、今は浪人中ゆえに勉強することを優先したく、互いの利益にもなると思われるので、自分に君の家庭教師をさせて欲しい。もちろん無料でいい。」と。

ならば私にも理解できる。

理解した上で、どうするかSちゃんとの関係も含めて考えることが出来たから、

Sちゃんに先輩からそういった話をもちかけられた事を話したりはしなかった。

私にとっては至極まっとうな理屈なのだけれど、それがどうも短所となる場合があるらしい。


おまけに制御装置に欠陥がある。

もう昭和36年製の旧式なので、そこが故障してしまったのか、もともと不良品だったのかは不明。

物事はやり過ぎて失敗する傾向が強い。

特に身体問題・・・誤解しないでいただきたいは、男女関係というものではなく、健康問題。男女関係においては、前者の例により「鈍い」が事の進展を妨げるらしい。自覚がないから正直わからない。

「痛い」を感じ出したら、その行為を止めて、おとなしくいったん療養すべきなのに、その判断が出来ない。

自分に都合よく考える楽天的なところがあり、楽天的なの結構なのだけれど、結果体を故障しているところから、

私の場合は短所となっている。

そういった失敗を懲りずに何度も繰り返す・・・その度に「痛い、痛い」と整形外科や整体に飛び込む。

どこに行っても「何度あんたは同じことを繰り返してるんだ?!」と叱られたり、あきれられたりする。

自分でもわからない。

性格の問題か?脳内の故障か?・・・かつて脳のCT検査では異常はみられなかった。

こんな私は、どんと置かれた介護ベッドがストッパーになることを期待する。

調子にのって早速また手術する羽目にならないように「お前は病人なんだ!」と教えてくれるこの大物は有効であろうと思われる。


しかし、リビングにあるのは嫌だ。

寝室に移すことにし、昨日の日曜日に、夫に指示し、場所を空けてもらった。

移動は後日業者さんが来ることになっている・・・めちゃめちゃ重いし、分解が必要。

リビングにあっては、さすがにプレッシャーが強く、精神衛生上かえって良くないと思われた。

大分歩行も安定してきたし、「転倒防止として杖を持つ」程度にしたい。

杖に頼るには、杖を持つ左腕が、首の疾患により握力が弱くて疲れやす過ぎる・・・右脚疾患ゆえ、どうしても杖は左手で持たねば補助として役立たない。


あちこち疾患を抱えながらも、最期まで、できるだけ自分らしい生活を送りたい。

それを手助けしてくれる「希望」を失えば、なんとなく自分も母と同じことになりそうな不安がどこかにある。

by sizhimi | 2017-06-26 05:49

元に戻りたい

退院後、その日から福祉用品レンタル業者さんに病院側が手配してくれた介護ベッドがリビングのテレビの前に置かれている。

その方が「日中もベッドの上でテレビを見たりしてくつろいで過ごせる」との夫のアイデアでそうなった訳だが、

他にも、寝室に入れるには、寝室のレイアウトを変更せねばならず、

それをせねば、夫がリビングの寝ることになる。

また、部屋のレイアウト変更など、夫はしたことがなく、何処に何があるのかも把握していない。

退院当日、私も右脚の痺れと今後の自分に気を取られ、そんな「あれはこっちに移動して」な〜んて指示できる余裕なんかない。

素直に夫の意見に従い、

素直に腰椎に悪影響を及ばさぬように硬いマットレスの上で、リビングで寝起きしている。


しかし・・・

ふかふかの布団で寝たくなってきた。

体は、右脚の痺れは相変わらずだし、その上左腕まで痺れてきて握力が弱り、

右脚の補助で左手で杖を持つのだけれど、段々と補助にならなくなり、

頑張ってるリハビリのおかげで筋力はついてはきたようで、

逆に杖を引きずって歩く始末。

なんか「次の診察日まで待っていて大丈夫?首、悪化してない?さっさと紹介状を書いてもらって、骨化症に対応できる病院に行った方がいいんでない?」などと不安になりだした。


それに、ベッドが病院のベッドと同じ感じで(当然だが)、まるでまだ入院しているようで居心地が悪くなってきた。

それだけ気持ちに余裕が出てきた証拠なのだろう。

もう、元の生活に戻りたい!!

元の体に戻ってないし、戻れる保証もないけれど、

無性に、元の生活に戻りたい。

元の生活だって満足だった訳じゃあないのに・・・。


グッズを全て返却して、元の家に戻すことはできるけれど、

私の体が元に戻らねば、生活しづらいのは確か。

皆が、私がこんな状態でも出来るだけ今まで通りに自分のことも家族のことも、家事全般が出来るように、

私の話を聞き、要望を聞き、手を尽くしてくれている。

だから子供じゃないんだから「やだ!やだ!やだ!元に戻りたい!」なんて駄々をこねる訳にもいかない。

「じゃあどうすんだよ?!」って話だ。

全てはリハビリをさぼっていた私に非があるし、

ちゃんと自分の病気を認識していなかったせいだ。

「認識させろよ!」と医者や理学療法士を責めるのはおかど違いだ。

自分の無知が招いた結果だ・・・でもせめて指定難病であることぐらいは教えて欲しかった。自分じゃ治せないからって無視しないで欲しかった。

首の4箇所のヘルニアが骨化していて治らないことは医師から聞いていた。

「1時間も電車に揺られて耐えられる体じゃない」とリハビリ科で怒られたこともあった。

自分の愚かさを痛感している。

救いは、他者を傷つけた訳ではないこと。

だから「有難い」ってこともわかっている。

でも叫びたくなる。

元の生活に戻りたい!と。

元の体に戻りたい!と。

でも、その元っていつ?


2006年3月末に、いきなり首の激痛で数ヶ月寝たきりになって以後は、その年の秋には腰の疾患で歩けなくなったりと、

身体状況は行ったり来たり状態の闘病生活で、

それももう12年目だ。

12年以上前になんか戻れない。

戻れる場所なんてない。

ここでこれから先を築いていくしかない。


担当医が外来診察の今度の月曜日、予約日よりは一週間早いけれど、

今度は首のみの診察と検査で病院へ行きたい。

紹介状を書いてもらうよう頼みたい。

しかし、夫はその日、健康診断の予約を入れている。

過去に癌になっている夫にとっては大事な健康診断だ。私のためにキャンセルし、予約をとり直させれば、今度は別の不安に苛まれる。

次男は今は仕事に夢中・・・ゴールデンウィークに合わせてリリースした次男がリーダーを務めるプロジェクトチームのスマホ用ゲームが当たり、結構な利益を会社にもたらしているらしい。仕事に関しては脂ののった時期。結婚はまだまだ先になりそうなアラ30。

娘も就職先が決まり、大学院修士課程前期卒業にむけて忙しい。

よって介助者がおらず、それでも先日は頑張って通院したけれど、結構キツかった故に不安148.png

「運を天にまかせて、一週間待とうか?待てる状態なのか?・・・m(゜- ゜ )カミサマ!」といったところ。


そんな愚痴を綴っていたら、なんともう夜中だ。

寝よう。

仕方ないから硬いマットレスの上で寝よう。

お陽様の香りがするふかふかの布団で寝ている夢でも見ながら・・・。









by sizhimi | 2017-06-25 01:16

それでも夫に惚れている

今我が家から見える小さな空は、薄いブルーに白い雲が綿菓子(わたがし)を引き伸ばしたようにかかっている。

まだそんなに暑くはない感じ。

散歩に行けるかな?


昨日、ブログを更新後、ちょこっと散歩に出て、近所のドラッグストアーでちょこっと買い物が出来た・・・重くなっては持ち帰れないので、選別にちょっと苦労。

その報告をラインで夫にしたら、嬉しくて涙が出そうだったそうな。勤務中なので泣く訳にもいかず我慢したそうな。

夫は、その両親に似て、高血圧のせいか?低血圧の私のように常時ぼや〜っとはしておらず、

私と同じくぼや〜っとしているように見えて、いきなり、瞬間湯沸かし器のようにいっきに沸騰し、他者を攻撃する時がある・・・あくまでも言葉であって、手はあげません。

若い頃はそんなことはなかった。

40過ぎて、高血圧診断を受け、降圧剤を飲みだしてからだったかと思う。

夫の家系は皆高血圧である。

私の方は、早くに亡くなった母が高血圧で、やっぱりいきなりキレる人だったし、低血圧でだるそうにしている父をいつも見下していた。

父似の私も、あまり好かれてはいなかったかと思う。

低血圧は低血圧で「いつもだるい」という苦労があるのだけれど、

高血圧の人はいきなり血圧が命の危険をさらす程上がることがあるし、

どうもそうならないように自制できないようなので、気の毒に思う。

で、普通に笑いながら会話していたかと思うと、何かが気に障ったのか?突然こちらが傷つくような言葉を吐く傾向が夫やその一族にはあり、

正直苦手なのだけれど、

そうでない時(多分血圧が正常範囲の時)は優しく面白い人である。

その優しく面白いところに、結局私は惚れているから、夫と32年も連れ添っているのだろう。

なんだかんだ言いながら、一緒にいて、会話できる時は楽しい。

ただ、夫は会社から帰宅してもゴルフに夢中で、ゴルフの練習をしたり、ゴルフチャンネルを観たりして研究しているから、

会話ができることはあまりなかった。

最近は少しは気をつかってくれているらしく、会話の時間を設けてくれる。

それは私にとっては嬉しい・・・私が、趣味のゴルフ以下の存在であっても(笑)。

そんな夫は今日は仲間とゴルフ。「早いスタート」だと言って朝早くに外出した。

惚れている弱みか、楽しそうにしている夫を見るのは嬉しいので、

つい「頑張って100は切ってね。あと、ボールなくさないようにしてよ。」などと声をかけてしまう。

男性として惚れているというよりかは、「家族」で、子供のようだったり、ペットの猫や犬のようだったりする115.png

ある意味、DV加害者と被害者の関係性と似ている。

しかし人間関係なんて、どれもどこかしらそういう関係性が多少はあるかと思う。


a0152078_09561299.jpg
そういえば、ゆうべ会社から帰宅した夫が、先日の発言を反省し、私のご機嫌をとろうと頑張った上でのことだとは思うけど、

「電車の中を見回してみたら、みんなブスばっかで、それが普通なのだとわかった。俺は恵まれてるんだな、と感謝した。」

などと言って私をおだてていた。

今は私もただの太ったシミだらけのおばさんだけれど・・・若い頃「小麦色の肌」が流行り、陽に焼きすぎた結果・・・、それでも実年齢から言えば美形な方らしく、

背が高いので洋服も映えるとこがある。

若い頃は確かにモデルのようだったかと思うし、実際そういうアルバイトもした・・・う〜んと過去の自慢で申し訳ない。

その上それなりの働き者だし、夫や家族にもつくす・・・手前味噌でやっぱり申し訳ない。

しかし、夫も家族もそれが「当たり前」になってしまう。

もし夫が改めて「うちの女房はなかなかだぞ」を気づいてくれたならば有難いが、

結婚してから気づくまで32年もかかるのか?

気づくのが遅すぎないか?

もうかなりくたびれて、すっかりフェレットのような体型になっているんだけど148.png

肌にはハリがなく、重力にすべてのお肉が負けちゃってるんですけど145.png

どうせ気づくなら、こうなる前に気づいて欲しかった。

「ブス」だと夫に思われた電車の中にいた女性方・・・それ以外もか105.png・・・大ひんしゅくを買いそうな夫婦です。

ごめんなさい。

安心して下さい。

今は杖をついた、福祉用品に助けれれているお婆さんですし、

過去には恵まれていたかもしれない容姿をマイナスにするほど、今は不健康ですから。






by sizhimi | 2017-06-24 09:58

ぽかんと空いた時間

ぽかんと時間が空く。

やりたい事、やったほうがいい事、やらねばならぬ事はあるのだけれど、

この5年あまり、ほぼ毎日アルトサックスを吹いていた時間だけがいまだにぽかんと空く。

腰が痛くとも、座っていても痛くとも、あの右脚を電気メスで切り刻むような痛みに襲われる先月5月中旬までは吹いていた。

左手が痛かろうと、手指がよく動かなかろうと吹いていた。

調子の悪い時は、好きなスタンダードJAZZを吹いて自分を慰め、励まししていた。

すっかり生活の一部になっていた時間は、吹かなくなっていつの間にか一ヶ月以上たったというのに、

その時間だけどうしてもぽっかりと空いたままだ。

残念ながら上手くはなれなかったけれど、

それでも最近は、いくらか自分なりの表現ができるようになってきたような気がして嬉しかった。

「まだ大丈夫かもしれない。」と思いつつ、やはり怖かった。

念のため、頚椎骨化症の専門医に診てもらってアドバイスをいただくまでは、

もしかして両腕が動かなくなったり、またすぐ手術になるのも怖い。

手術はもうしたくない。

そういう訳にはいかなくとも、せめて2年後くらいにしたい。

そんな弱音、癌で亡くなる方には聴かせられるものではない。

頑張っている人が沢山いる。

ごめん、私は今は頑張れない。

頑張りたくない。

右脚は痺れたままだし、退院時は無事だった足首から下、足の裏と指まで、それも無事だった左足まで痺れてきた中で、

左腕は痛だるい中で、

家事をしながらリハビリをし、

「きっとこの痺れはいずれは治るものだ。

術後の炎症によるものだ。

バカな私の(腰から右脚につながってる)神経が自由になったことに気づかず、まだ圧迫されていると思い込んでいるだけだ。

たとえ痺れ続けようと、きっとそのうち慣れるものだ。」

で、元気にもなるけれど、

やっぱりぽっかり空く時間、途方にくれる。

もう少し涼しければ散歩に出るけれど、

そうそう午前中はちょこっと散歩に出た。

そして暑かった。

これで今度は熱中症で搬送されたらバカ丸出しだ。


とにかく次の診察時、紹介状を書いてもらい、出来るだけ早く骨化症を扱える、骨化症の患者を多く診ており、手術している病院へ行こう。

適切な診断をしてもらおう。

もっと早くそうすべきだった。

ちゃんと戦うべきだった。

きっと今からでも遅くはない。

そして「大丈夫」だと言ってもらえたらアルトサックスをまた吹こう・・・出来れば「誤診だ」ならいい。こうやって悩んだ時間も勉強になるから、それもいい。

「危険だ」と言われたら、その時は潔くあきらめよう。

そしてこのぽかんと空いた時間を埋めていく努力をしよう。


全然関係ないけど、例によって集団検診でひっかっかった、とは言っても、とうに腫瘍があって年に一回診察するように指示を受けている乳房の外来診察に行っていない。

「まだ小さいし、マンモグラフィー写真の色的に良性だから」ということで、検査は年に一回でいいとなっている。

昨年診察を受けた医師は「検査も放射能をあびる訳だから、あまり頻繁は危険だ」と言っていた。

予約をとらねばならないけれど、まだその病院まで一人で行ける状態じゃあない。

夫に通院の度に会社を休んでもらったり遅刻してもらう訳にもいかない。

秋までには行けるように、リハビリ頑張ろう。

それより歯医者に行きたい。

手術後から徐々に上の奥歯が左右ともに痛くて、ものが食べづらい。

車でもスクーターでも自転車でも整形外科医の許可がおりれば、さっと行けるのにな。


あちこち悪くて、困ったな119.png



by sizhimi | 2017-06-23 16:14

散歩をせねば

我が家から見える狭い空は、今日は青い。

散歩に行きたいと思うし、行かねば・・・これ以上ひきこもっている状態(好きでひきこもっている訳じゃあない)じゃあ、

精神的にどんどんと追い詰められていく不安感にかられている。

しかし、介助者無しだし、

先日一人で通院はできたけれど、その時は必死だったし、

右腕の痛みが首の骨化部分が大きくなっていたせいだとは思ってもいなかった。

左腕に症状が出ていても、一応利き腕ではないので、

そりゃ症状がキツい時は、右脚が悪い為に、杖を持って補助にするのは左手だから不便はあったけれど、

そんな首の状態でも、首よりアルトサックスを選び、日々何も考えず夢中になって吹く時間が私を救ってくれていた。

今はさすがに怖くて、アルトサックスより首を選んでしまう。

今はなんとか支援センターが介護保険申請中による暫定支援ということで、いくつかの介護用品を借りられることにより、

それらの補助を得て、家事(料理以外)をやっている。

料理が出来ないのは、さすがに以前のようには動けず、とってものろま過ぎて、そこまで時間が取れないことによる。

とにかく、疲れるのか?散歩するまでの元気が出ない。

元気がないところに不安感が加わり、逃げ腰になっているのかもしれない。

「散歩に行って、外の、特に午前中の陽をあびた方がいい。そうでないと鬱になるリスクが高い。」という脳科学や医学の理屈通りには体が動かない。

頑張ると自分にとって、それはしがらみでしかなく、ストレスになってより悪いから・・・ストレスは首の症状を悪化させる恐れがあるので避けたい・・・気が向くように自分の心を仕向けよう。

で、赤いエプロンを身につけた・・・頼り。赤い服は冬物に一着あるだけで持っていない。いつの間にか黒か茶色、グレーか青ばかり。テンションが上がる色ではない。

勿論、気が向けばすぐに外出できるように、朝一でメイクもほどこしてるし、外出できる服装にも着替えてる。

しかし昨日は出れなかった。

今日は出られるか?

不安に負けるなよ!といったところ。


そういえば、家族が皆筋トレをしだした。

皆「ああはなりたくない」といったところだろう。

いくらかでも彼ら、彼女の健康維持のお役に立てたならば、嬉しいです・・・といったところか。


夫には、筋トレよりも、父親譲りの「言ってはいけないことを言ってしまう癖」を直して欲しいが、それもDNAなのか?・・・ならば我が子たちが心配だ。

とにかく、どうしようもなく夫の血筋は負けん気が強いのだ。

夫の父は「ごめんなさい」が言えないし、

夫の母は「ありがとう」が言えない人だった・・・死に際に「ありがとう」を言ったとかで、「あの人が言ったよ」で騒ぎになったくらいだ。そこまでいくとある意味凄い、極めている。

その二人の息子だからしょうがないと言えばしょうがなく、

できちゃった婚とはいえ、結婚した私にも責任がある。

自分のケツは自分で拭くしかない。

ふと、こんな人生さっさと終わってしまえ、と思ったりする。

思えば、姑も癌になり、余計な治療を拒んだ。

「もういつ逝ってもいい。」で享年77歳・・・今時では早い死だった。

舅はその後も元気に長生きしている・・・生きる力が強いのだろう。

私の父親もそうだけれど、夫婦の片方が生きる力が強すぎると、もう片方は早く死ぬ?・・・生命力を吸い取られるのか?お化けかよ。

夫は顔は母親似だけれど、その性格も体格も父親似だから、きっと元気に長生きしてくれるだろう。

私は顔は父親似だけれど、体が弱いとこは母親似だから長生きにあまり期待はしていないけれど、

母のように自ら命を絶つ気はない。

そんな勇気も根性もないところは父親似なので、こんな状態で長生きするのか?・・・なんか生き地獄だな135.png

でもね、母の選択は間違っていたとしっかり思う。

どんなに絶望的な気分でも、

「このまま家族の重荷ではいたくない。」と思おうとも、

実際家族の重荷であろうとも、

何が何でも生き抜いてやる、という背中を我が子に見せるべきだ。

それが親の務めだ、と私は思う。


で、しょうがないから、リハビリ科で出された宿題を日々何度も頑張るしか、今は道がないのである137.png



by sizhimi | 2017-06-23 09:26

自分を愛する人、自分を愛せない人

今日は晴れてるのか?我が家の窓からは隣の家しか見えないからよくわからない。

見上げる空はうっすらグレー。

狭い空は、とりあえずは雨を降らす顔はしていない。


a0152078_12180258.jpg
昨日から、時にふと、「これは妄想ではないか?」と度々思う。

本当は私はどこも悪くはなく、昔のように飛び回れるのではないか?

医者の言葉とかは私の幻聴で、私には幻覚とか幻聴とかある病気で、全てが妄想の世界なんじゃないか?

精神科医が言う「あなたは正常ですよ」も幻聴なんじゃないか?

ならば、向精神薬とかいうやつで治るんじゃないか?


現実であることを思い、

どうしても現実であることを思い、

涙が出る。

また切られる日が来ることを思い、不安になる。

麻酔の副作用の吐き気や、寝返りもうてない激痛を思い出し、恐怖する。

大声あげて泣き出したい気分を抑える。

涙をこらえる。


泣いた方が楽にはなるだろう。

でも、泣けば、その現実を認めるような気がして、

妄想や夢であって欲しいと願う。


そんな気分の時に、夫に今度は、私よりゴルフの方が大事、と言われた。

本当にいつも私を傷つけるのが好きだし、上手だ。

しかし(夫は)経営陣から外されたおかげで、私は会社よりは格上げされたそうな。

この人は本当に誰かに恋したこと、誰かを愛したことがあるのだろうか?

もし60年近く生きてきて、自分自身以上に愛することが出来る人に出会えていないのなら、可哀想だ。


「お前はどうなんだ?」と聞かれた。

「私の問題は、私が私自身を愛することも、大切にすることも出来ないことだよ。あなたの逆だ。」

と応えた。



by sizhimi | 2017-06-22 12:23

頚椎後縦靱帯骨化症の進行

今日はこちらは晴れ。時々雲もかげるかな?って程度、とにかく暑いらしい。


昨日は、F整形外科での退院後初の担当医の診察とリハビリがあった。


最悪な気分。


理由は、首の頚椎後縦靭帯骨化症(OPLL。指定難病69)が進行(成長)し、骨化部分が大きくなった為

両腕・・・右腕は二の腕部分がひどく痛く、左腕は全体の脱力感と痛み、いつもの親指の付け根の痛み・・・

そして左手の指が全部動きが良くない・・・すんなり動かない

首も相変わらず痛く・・・2006年3月末からだから慣れたと言えば慣れた・・・湿布が入浴中以外は外せない。

腰から下も不自由なのに・・・これも首の骨化症のせい?・・・、腕まで不自由になってはなかなか面倒だ。

急にまた進行した・・・いや、していたのに、私自身慣れ過ぎていて気がつかなかった?。

ブログ更新も時間がかかってしょうがない・・・もともとがパソコン派で、ブラインドタッチで指がキーの場所を覚えているので、

正直、何処にどのキーがあるのか、脳は覚えちゃいない、指頼り

それどころの話じゃないけど148.png。・・・スマホ更新にもっと慣れた方がいいんだろう。


ここらじゃ手術できるのは千葉大のみだそう・・・原因不明で治療法がないので、悪化したら手術対応しかないらしい。

骨化が大きくなった部分を削るだけで、骨化を治す手術ではない。骨化した部分がまた成長して大きくなればまた削るの繰り返ししか現代では対応できない。

夫は東京は九段下の病院を探してくれて、「いざとなったらそこに連れていく。」と言っているけれど、

どちらの病院も、こんな体で一人では通院できない。

まだ会社勤めの夫に、常に介助してもらう訳にもいかない・・・だいたい、そういった病院は外来診察は午前中のみで、通勤通学ラッシュの電車やバスに乗らねばならず、

先日もここで書いたけれど、優先席の前に杖をついて立っていても、健常者が気づかぬふりをして座っている・・・寝てるふりとか、おしゃべりに夢中になっていて気づかないふりとか、時にスマホゲームに夢中で下しか見ておらず本当に気づかない。

私、転倒したら、首の骨をおるリスクが普通の人より高いんですけど148.png・・・そんな事、他人は知ったこっちゃない。


何よりもう手術はしたくない!!133.png145.png143.png


なんか、自分の病気を軽く考えていた。

下手に知りたくなかったので、調べなかった。

さすがにネットで調べたら、今後の自分が見えて、すっごく嫌な気分。


そういえば、長年抱えていた頚椎ヘルニアが、「骨化してるから手に負えない。」と前に通っていた整形外科クリニックで告知された時、

ショックで泣いたし、当時の気持ちもこのブログに綴った記憶がある・・・3〜4年前だったかと思う。

あの時には、自分の病気のことを調べなかった・・・調べられなかった・・・気分的に・・・ごく最近まで調べる気分になれなかった。

夫も、子供達も誰一人として調べなかった。

夫はまだ社畜で忙しかった頃だし、

何より、私自身を含めて、家族の誰もが、私が病気をすることに慣れ過ぎてしまっていた。

もう皆うんざりしていた。

ただ重たいだけで、誰もが重たいことから顔を背けていた。


首のことだって、医師はうるさく注意していたのに、私は言うことを聞かないだらしのない患者だった。


頚椎ヘルニアの症状が発症してからこの11年余りの間に、ヘルニアは次々と増えて4箇所になっていた。

当時通っていた整形外科クリニックは自身のとこに手術室はない温存療法主義。

「まだ手術する段階ではない。」と医師が言っている間に、それらのヘルニアが骨化しだした。

骨化しだしたら、もう遅かった。

難病なので、そこらの病院で対応できるものではないし、治療法もない。

湿布(ロキソニン湿布。ボルタレン湿布は陽に当たるとかぶれます。)で痛みに対応するのみ。

何故ヘルニアのうちに手術してくれる病院に紹介状を書いてくれなかった?・・・今更後悔しても責めてもしょうがない。

私自身がもう手術を拒否する気持ちがあったので、積極的ではなかった。

私自身が目の前の現実から目を背けていた。


a0152078_12183294.jpg
もうアルトサックスは吹けないだろう。

当初はそれがショックだったけれど、今日は今後のことを考えると怖い

動きづらくなってしまった指で、こうやってパソコンを打ちながら、

「あんなに早く打てたのに。耳で聞くと同時にその言葉を打てるだけの指だったのに。」

誤字が多くなっていたのを自分でも知っていたし、気づくと後から直していたし、

何より打ちづらいという内容でここにも過去に書いてある。


私はあきらめてばかりいた。

戦うことを嫌い、逃げていた・・・もうそういう癖みたいなものだ、きっと。

戦うべきだったのかもしれないけれど、傷つきたくなかった。


なんだかんだと、「あっちが痛い、こっちが痛い」と言いながら、結構元気に長生きすると思い込んでいた。

かつて、2005年に末期の卵巣癌で亡くなった、毎日一緒に「目指せ健康!目指せナイスバディ!」とウォーキングしていた親友と、

「80過ぎた婆さんになっても、私たちは押し車押しながら一緒に歩いてるんだろうね。」と笑って語っていた頃、

自分たちはずっ〜と健康いられると思い込んでいた

死はまだどこか他人事だったし、

寝たきりになるのも、冗談では口にしていたけど、それも他人事だったから笑っていられた。

他人事なんかじゃなかった。


夫が直腸癌で手術入院した頃、本人はもちろんショックでキツかったと思うけれど、

妻である私も、まだ学生の子供を3人抱えて不安と恐怖でいっぱいだった。

それでも頑張らねばならなかった。

その気持ちが、身をもって体験し、よくわかっているからこそ、

同じ気持ちを夫にさせていると思うと、泣くことは出来なかった。

ついつい明るく振る舞っちゃうし、家事も夫の手を患うことなく自身でやれるよう工夫している。

担当のケアマネさんと介護用品の事業所が助けてくれる筈。

まぁ、明日、市の介護課に人が介護度を測りに調査にくるので、

その結果「要支援」以上が出た場合に限る。


国も自治体も金がないから、F市には高い市民税を取られ続けているばかりで、その金もどこに消えているのか?・・・道路一つ改善されない。

他の自治体に比べると介護保険の申請は通りやすいという噂は耳にするし、

私の病名が病名(腰部脊柱管狭窄症。2度の手術済み)だから何かしらは得られる筈ではあるけれど、

出るまでは不安だし、

出たら出たで、自分が抱えている現実を直視せねばならず、気持ちよいものではない。

こんなことからは、弱虫の私は、逃げ続けていられるものなら最期まで逃げ続けていたい。


それに・・・

2本の愛するアルトサックスを「もう吹かない」と決心して売ってしまった方が潔く(いさぎよく)あきらめもつくものだと思うのだけれど、

全然潔くなれない私である





by sizhimi | 2017-06-19 11:03


頚椎後縦靱帯骨化症、腰椎4、5番は変性すべり症によりチタンボルトで固定手術済み、右脚人工股関節、腰椎椎間板ヘルニア手術済み、腰椎2、3番変性すべり症&両手親指付け根変形性関節症温存療法中とあまりの疾患の多さに自分でも忘れ、あきれている整形外科と縁が切れそうもない50代主婦の徒然日記。


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