無題
2010年 02月 27日
その前に、担当医から話があるということで呼び出された。
話は夫と2人で聞いた。
当初、ステージ1の早期の直腸癌で、手術も成功し、予定していた人口肛門にもならなかったし、
退院後も、抗がん剤を飲むこともないという話だった。
要は、その小さながん細胞を取ってしまえば、今後何一つ変わらない筈だった。
念のため手術ではリンパまで切除した。
「念のため」だった。
病理検査の結果、
小さな悪性の癌腫瘍は、珍しい転移性の高いものだったそうだ。
念のため切除したリンパからは多くの転移腫瘍が発見された。
切除した以外にも転移している可能性は否定できないものだった。
転移し再発する可能性があるのは肝臓と肺だそうだ。
再発率は30%。
予定していなかった抗がん剤治療を今後行わねばならない、とのことだった。
ステージ1と当初みられたいたものは、
ステージⅢaと診断された。
退院後、一週間後から抗がん剤を4週間服薬。
一週間休み、再び4週間服薬。
それを、とりあえず5クルー、半年続けて様子を診る。
喜びは一転した。
それでなくても、今回の手術の後遺症で、夫は排便障害に困っていた。
便意をもよおした時には間に合わない。
投与される抗がん剤の副作用は個人差があるけれど、メインは下痢だそうだ。
排便障害を背負った夫には、生活に支障をきたすことは見えていた。
夫は50歳。
まだまだ働かねばならない。
高卒の夫は、頑張って頑張って、上場企業の取締役まで上がった。
25年彼を見て来た。
そりゃ、その中で、家族を顧みる余裕もなく、私はかなり泣いたけれど、
私たちは一緒に生きて来た。
今、夫の心の中はわかるつもりである。
「たばこ吸ってくるね」と病室を出て、
がんセンターの庭の隅で私は泣いた。
夫も今、声もあげずに布団の中で泣いているかもしれない。
戻りたかった。
知り合った頃に。
私は新卒の事務員で、先輩社員で現場の夫のクルーが会社に戻ると「お疲れさまでした」と声をかけた若き頃に。
珍しく、娘が帰宅する私の為に、風呂を湧かして待っていてくれた。