振り返り
2014年 08月 15日
今日は終戦記念日。
NHK連ドラ「花子とアン」の内容に関してはいささか作り過ぎ感は否めないけれど、
それを思えば、放映日を意識した作りにはなれば致し方なくも思う。
それに朝だし、「大切な人の死を受け入れ、乗り越え、前向きに生きる」を訴えるは定石だろう。
今朝はちょっと寝坊して7時起き。
疲れもたまっていることから朝の犬の散歩はチャンプには申し訳ないけれどスルー。
「夕方には行くからね。」
お盆のこの時期、亡くなった母を思わぬ訳はない。
ただ、母と私の思い出の地は、現在父が一人暮らしをしている日本海に面した小さな村ではない。
その小さな村に私は住んだ事もないから。
私が「帰りたい」と思う場所はただ一つ。
でも・・・
生まれ育った東京の小さな街にはすでに私の帰る場所はない。
そこはすでに父が売り、購入した誰かがアパートを建てている。
今や高級住宅地になってしまったその街からは馴染みの家も思い出の畑もなくなり、
その街から私はとうに忘れられている。
固定資産税だって年金からは到底調達できない高額になってしまった街からは、そこを故郷する人達は立ち去るしかなく、
どこかの金持ちが入れ替わり「地元」と名乗る。
広がっていたキャベツ畑も菜の花畑もすっかりお洒落な家やマンションに取って代わられ、
小さな街はより小さくなってしまっていた。
その小さな街で、犬の散歩係の私は、夏休みはやはり早朝散歩をしていた。
夜には、よく母と弟と私の3人で犬の散歩をしたものだった。
夫は自分の実家に帰ったけれど、
夫の親族に嫌われている私は、そこにも何かしら大義名分(冠婚葬祭とか舅が病気など)がなければ行くことを拒まれているのはその表情と夫の遠回しな「行かない方がいい」の言葉でわかる。
夫の実家がある小さな村は、他県から来た嫁は見事に全員離婚して出て行ってしまった。
お寺の住職の奥さんまで出て行ってしまった時にはさすがに皆にちょっとした驚きがあった。
不思議な村だと思っていたけれど、
東京出身の私にわからなかっただけで、地方ではそういうところが多いと夫は言う。
長男である夫も、30歳になったらその村に帰り、地元の女性と結婚し、親の面倒をみることが約束されていたそうな。
同じ日本といっても、同じ関東地方といっても、出会うまでの環境があまりに違い過ぎて、
その違いを互いに尊重できればよかったのだけれど、
結局否定しあうようになってしまい、
互いの親族にも、夫婦間にも深い溝ができてしまっただけの約30年になってしまった。
40代までは「これではいけない!」とあがいたけれど、
50歳過ぎたら、「もうどうしようもない」であきらめることを選んだ。
健康でもない私は、まだ動ける残りの時間を、闘うよりも、大切に、猫達と穏やかに過ごしたい・・・もうそれしか望んではいない。
できれば、夫の両親、親族、夫から受けた言葉の暴力を全て記憶から消し去れて、作り笑いでごまかす癖をちょっとだけ変えることができたら有り難い。
お盆に、
亡き母を想いながら、
亡き母に「幸せだよy(^ー^)yピース!」と胸を張って言えないことを申し訳なく思う。
せめて「なかなか面白い人生だったよ。ありがとう。y(^ー^)yピース!」と報告できるように頑張ってみよう。