人間の身勝手と動物愛護
2014年 08月 30日
夜中一度起こされたくらいでよく眠ることができた(゚-゚)(。_。)ウン
海外出張から帰ってきた夫も、ビクビクしていたそうだけれど、
「案外眠れた。」と嬉々として「朝活行って来る。」とゴルフの打ちっぱなしに早朝出かけたσ(゜┰~ )アッカンベー!
高齢者問題は、人間のみならずペット(特に犬)にもある。
猫は犬よりはまだ野生の本能が残っている故、
病気などで体が弱ると、敵に襲われることを恐れてより元気に振る舞ったり、
それも出来ないくらい弱った時には我が身を守る為に身を隠す。
人間と共に生きる歴史が長い犬は、その野生の本能が失われてしまっている。
それが人間にとって都合よくもあり、都合悪くもなる。
人間とは勝手なものだ。
私はなんらかの宗教を信仰している訳ではないけれど、
それでも、この人間の身勝手さに神が罰をお与えになるのも致し方ないだろう、と思ったりする。
ただ、その身勝手さへの罰に、罪のない彼らを巻き込まないで欲しいと願う。
それを言ったら、「じゃあ災害等で亡くなった方々やご遺族は罪があったのか?」という問題につながってしまう恐れがあるけれど、
決してそういってる訳じゃない。
例えば、第二次世界大戦(太平洋戦争・・・どう言ったら正確なんだろう?それぞれの国の立場で言い方が違うからいつも困る)において、
日本人の殆どは国(軍部)に翻弄され、洗脳され、「戦争反対!」とは口に出して言えない時代だった訳で、
それをした人は憲兵に連行され死ぬ程の酷いリンチにあったり、戦場の最前線におくられたり、その家族は「非国民」として村八分にあったり等々したから、
殆どの人が我が身と我が家族を守る為に、ただただ戦争に勝つことを願ったし、協力するしか道が選べなかった訳なのだけれど、
結果は、日本人全員が悪い!となって中国や韓国等に嫌われちゃってる訳で、
あの広島と長崎に落とされた原爆だって、家族や友人を日本兵に殺されたアメリカ人にとっては正当化されてしまう訳で、
それは感情的に致し方なく思う。
私だって、大切な家族や友人を殺されたら、それは戦争のせいだ、と理屈ではわかっていても、
相手を恨むことだろう。
もちろん、戦争に関するこの私見も「そうじゃない!」と反論が出るかとは思うけど、別にここは長々と評論を書くところではないので、ざっーと一般的表面だけを書かせていただきました。
で、戦争の話と人間の罪がどうつながるのか?だけれど、
要するに、大きなくくりで考えられてしまう、ということ┐( -"-)┌
「動物愛護」と一言でいっても、それぞれ国、地域によって文化が違い、
日本が歴史的にくじら(ペットにするには難しいけど)を食していたように、
犬を食べる地域もあれば、
猫を食べる地域もあるし、
うさぎを食べる地域もあるし、
キャラクターとして人気のカピパラだって食べる地域もあるし、
ハムスターだって、人や地域によってはただの「ねずみ」だし、
日本の一部ではあのイルカ(やっぱしペットとは言えないけれど)だって食べる。
家畜として認識されている豚だって、今やペット用のミニ豚が売られている(ミニといっても大人になると80kgは越えるから抱いて歩くことは不可能に思われる)。
何が動物愛護の対象になるのか?・・・私にはわかるようで分からない┐( -"-)┌
一体、何処の、誰の基準の動物?
話がめちゃくちゃ脱線してしまったけれど、
うちのチャンプ(犬、チワワ、♂、10歳1ヶ月)は、この約10年家族だったから、歳とってちょっと苦労が増えようと出来る限り最期まで家族でいれるように努力するのが私にとっての「人の道」だったりするけれど
・・・それでも腹がたつと「死んでしまえ!」と思ってしまうのは、お恥ずかしいが、業(ごう。仏教用語。)の強い人間で私があるということだろう┐( -"-)┌