夢野久作の世界と危ういバランス
2015年 01月 23日
夢野久作「少女地獄」
「ドグラ・マグラ」を代表作とする夢野久作(1889〜1936)は知る人ぞ知るが、知らない人は全然知らない小説家。
ここで「ドグラ・マグラ」を紹介しないのは、あれはかなりの長編だし、その上読んでいるうちに
「私の頭は本当はおかしいのではないか?
私に見えてるもの、聞こえてるものは、それは私にしか見えず、聞こえていないものなのではないか?
私の世界は真実なのか?実在しているのか?」
と奇妙な不安感にとらわれて怖くなることがあるから。
そういった世界を描く作家さんです。
こんなもん描いてたらそりゃ早死にもするだろう。
どこまで自分を追い詰めたらこんなものが書けるんだろう?といったところ。
主人公は若きイケメン医大生で狂人。
婚約者を殺した咎で精神病院に隔離されている。
その彼の視点で描かれた不気味な世界に読み手は引き込まれる。
根性のある人は読んでみるといいと思う。
しかし、「そこまではちょっと」だけど、ちょっとだけ不気味な世界を覗き見したい程度の人には「少女地獄」はおススメかと思う。
美しく真面目で働き者、有能な少女の登場は物事を良い方向へ運んでいるように当初皆思う。
しかしそれは実は真実の姿ではなく、それがわかる頃には物事が実は悪い方向へ向かっていたことを知る。
これって現実でも、現在でも、よく「ある」話。
どちらの言い分が真実なのか?
真実って?
世間を騒がす事件にこういうのってよくあるんじゃないっけ。
戦前の作品ゆえ、ことば使いに現代と違うものはあるけれど、
それも又当時の様子をうかがえて面白い。
私は明治、大正、昭和の戦前ものは結構好きである。
当時の人々のものの考え方、人々の暮らし方、街並み、文化などが見えて、
想像はその世界へ私を連れて行ってくれる。
SFの逆バージョン。
電子書籍、青空文庫でダウンロードして無料で読めるから、是非一読願えたら、と思う。
柳田國男の「遠野物語」より全然読みやすから安心していただきたい(笑)。
なんで今日は夢野久作?
まぁ好きな作家の一人だし、今はそんな気分だから。
チャンプを娘の部屋に追いやったはいいけれど、
チャンプがやたら鳴くのが試験中の娘をイライラさせ、
娘のイライラはいつも通り私に向く。
昨日の私は娘に泣かされ、興奮してただただうっぷして泣くばかり。
そんな私を出勤前の次男が気をそらそうと面白い話をもちかけてくれた。
連絡を受けた夫は、チャンプを動物愛護センターに連れていくことを検討する。
頑張っていた筈なのに、何故自分の中に突然チャンプに対する拒否感情が湧いてきたのかわからず、
処分はさすがに残酷で、
とりあえず「無駄吠え防止首輪」をネット購入。夜には届く。
これだって残酷であろうが、一匹の犬のために家族が精神的に追い詰められていく方が、結果、もっと残酷なことになる。
私はチャンプに会うことさえできない心境にまで至り、
帰宅した次男が、チャンプのオムツ交換とその首輪の説明書などを読みはめる。
夫は「俺はもともと猫派で、犬は好きじゃないから。」でノータッチ。
じゃあなんで犬を飼ったんだ?と当時の記憶をたどってみるが、夫が反対した記憶は見つからない。
物事、うまく回っている時にはちょっとしたヒビなど小さな事で気にもとめないし、時に見えない。
しかし、うまくいかなくなった時、悪い方向に転がりだした時、そのヒビが取り返しのつかない大きなヒビに見え、壊れかけている自分たちに気づく。
安全な方への方向転換にはかなりのエネルギーが必要で、
ダウンしているのが一人ならみんなで支えられるけど、
元気なのが一人だけじゃあ多を支えることはできない。
全員が常に高いモチベーションを維持してる、な〜んてことはありえない。
そこはバランスだ。
そのバランスでチームワークとチーム全体のモチベーションは保たれる。
その図式って、小さな家族単位から企業、国、世界へと共通。
今、バランスを崩しだした世界が、懸命に不安定なバランスをなんとか守ろうとしている・・・そんな空気をテレビから流れるニュースから、
そしてチャンプをとりまく世界から今見ているから、だろう。
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