何事にも副作用はある
2016年 03月 29日
天気予報も当たるも八卦当たらぬも八卦。
昨日の午後は結局雷雨どころか雨も降らなかった。
雨になると移動が難しいから、と痛み止めリリカカプセルの副作用の眠気に怯えつつ、
幸い時間的に薬の効果が切れていて、副作用もなく、カフェイン飲料レッドブルのおかげもあって、
無事車でサックスレッスンにはいけたけど、
右脚の軽度の麻痺は運転に緊張をもたらした。
マニュアル車でよかった、とつくづく思う。
そりゃマニュアル車は、運転がオートマ車のように楽ではないけれど、
操作が面倒な分、アクセル一つで進むものではないので、
最近多い不可思議な事故の可能性は低い。
マニュアル車利用者としては、どうして車がコンビニや民家に意識せずして突っ込むのか不思議だ。
まぁ、不思議なことに、うちのBMWミニは、バックのギアが1速の隣で同じ向き。
慣れないうちは間違えて、1速のつもりがバックに入れてた、なんてことがあって焦った。
よって、皆(我が家でマニュアル車運転できるは、夫と私と娘のみ)、アクセルを踏む時は、ゆっくりと躊躇しながら徐々に踏む癖がついた。
それでも不安な時は、バックギアだとギアを後ろにはひけないけれど、1速ならば、そのまま後ろにひけば2速に入るので、それで1速かが判断できる。
車が、しばらく走ってあたたまると、勢い余って、1速のつもりがバックに入りやすくなるので、そこは注意している。
そんな風にマニュアル車は確かにやや厄介。
足も両足使う。
右足でアクセルを踏んだだけでは車はエンストして動かない。
クラッチを左足で踏んでいなければ、エンジンもかからない。
今は運転免許を取る時点で「オートマ限定」の人が多いから、マニュアル車の仕組み自体を知ってる人も少ないだろう。
これがわかるのは年配者のみだね(* ̄m ̄)プ
しかし、うちの娘みたいに、「理系だから」という理由で、わざわざマニュアルで運転免許を取る若者もいる。
同じ理系でも、長男はオートマ限定。次男はオートマ限定&ペーパードライバー。
娘から聞くは、割と理系女子はマニュアル車が運転できるらしい。
おなじ「ゆとり」でも男子と女子でその性質はかなり違う。
優しいは男子、強いは女子、といったところか。
恋愛に関しても、男子は草食(最近は絶食系・・・恋愛に無関心・・・も出てきたらしい)、女子は肉食が多い模様。
そんな「ゆとり」を考え出して、実行したは、私たちの世代じゃないよ。
悪いけど、私たちの上の世代、いわゆる団塊の世代の人たちだからね。
その団塊の世代を生み出したのは、明治時代後期〜大正時代、昭和初期生まれの人たち(太平洋戦争に出兵した人たち。大半が「お国のために」に人たち。)だからね。
その親はまた明治維新の人たちか・・・すごいな。
実に彼らはあれこれいろんな事にチャレンジし、今の日本を築き上げてくれた。
良い事も悪い事もあれど、そのパワーには頭が下がる。
それに対して、私たち世代は、今の若い親たちを見ていると、あの子達を育てたのは私たちだから、情けなくなる。
昨日、サックスレッスン教室には、駐車場から車椅子で行ったのだけれど、
この教室、お子様(ガキと呼びたい)もいる。
教室で、順番を待っているお子様方は、隣に親がいることにより大人しい。
しかし、私がトイレに行くのに教室を出ると、
ガキだけが集団で追いかけてきた。
そしてそのガキどもが、車椅子を面白がって、からかってはしゃぎまわっていた。
くそ胸糞悪い(>O< )カァーッ ( -.-)。ペッ
思わず、持っていた杖で叩きのめしてやりたい気分。
そこは一応大人、ぐっと我慢(;~_~)9 ググッ!
笑顔で「ごめんね、邪魔だね」と言ってはみたが、
今にして思えば「親を呼べ!」と怒鳴ればよかった[黒 ( )_彡 板] ギイ゙イ゙イ゙~
そのガキどもの殆どが女の子で、リーダー格も女の子。
おそらくピアノのレッスンだろう。
あの子の親は、我が子を「良い子」だと思い込んでいるのだろう。
そして、あの子も親の前では「良い子」をうまく演じる知恵を持っているのだろう。
末恐ろしい。
ああいう子がいずれ「いじめ」のリーダーとなり、
男をうまくだまくらかして良い暮らしをゲットし、
今度はブラックママ友に成長するのだろう。
ブラックな素質は十分なその子は、来ている服も可愛ければ、その子自体の容姿も可愛い。
親も親で「うちの子」をよく観察すべきだ。
いくら金をかけて習い事をさせても、人として大事な道徳教育ができていない。
と偉そうなことを書き連ねたけれど、かく言う私はそう子供達を育てたか?
そうじゃないから、今泣く羽目になっているのだ。
あの子達がまだ幼い頃は「優しい子」だと思い込んでいた。
その「優しい子」は「情の薄い子」だった。
このままじゃあ、孫もろくな人間に育たなそう。
そりゃ「お勉強ができる子」にはなるだろう。
大人の前では優等生にはなるだろう。
DNA的に、そういう点においては両親ともにそうだから期待は出来る。
でも、思いやりのある人間に育つのだろうか?
その頃には、私は逝っちゃってるだろうから知らないけど、
今回の経験は長男夫婦には語っておこう。
「うるさい姑」「うるさい母親」と思われるだけに終わるかもしれないけれど、
孫の未来を思えば、道徳教育はちゃんとして欲しい。
しかし、そろそろ復職する嫁、
共働きで、子供を育てていくのに精一杯で、そんなとこまでは手が届くまい。
かつて「ゆとり」を生み出したように、
今度は「一億総活躍時代」の副作用、落し物は何になるのだろう?
もう見るのも恐ろしい。
こんな時代に子供を産んでよかったのか?
いいんじゃないか?日本人減っても。
たくましい中国人やインド人だらけになっても、別にいいんじゃないか?
元来、そうやって、弱いものを食いつぶしながら人類は進化して今に至っているのだから、
絶滅危惧種にそのうち「日本人」が加わっても、自業自得なんじゃないか?
クレームが来そうだけれど、
私たちもそうやっていろんなもの、つぶして今に至っているじゃないか。
アイヌ民族や琉球民族を支配し、
申し訳ないことに、つい数十年前まで、アイヌ民族を「第二」とその戸籍に記入して差別していたじゃないか。
江戸時代の差別をそのまま引き継いで、未だに部落差別は残っているじゃないか。
韓国人に関しても同様。
ただ日本は、そういった闇の部分は次の世代に隠し、教育していない。
「臭いものには蓋(ふた)をしろ」が日本の文化だ。
それはそれで「悪」とも言い切れない。
どの文明にも受け継がれた文化があり、それはそれで意味がある。
しかし、結果得た「今」が「楽園だ」なんて誰も思っちゃいないよね。
何をしたって「副作用」はある。
その「副作用」の方が厄介な場合も多々ある。
そうやって「つきはぎだらけ」でも前に進まねばならない。
過去には戻れないのだから。
原発だって、あの2011年の事故までは「明るい未来」だった。
それでも「明るい未来」を追わねばならない。
今度はどんな「明るい未来」を追うのか?
それは本当に「明るい未来」か?
それを、私たちが育てた若い人達に託さねばならない。
若い人達を信頼したいが、
ああいったクソガキを見ても、その親の顔ぶれを見ても、
世間的、社会的にはエリートコースを歩んでいる我が子たちを見ても、
お手上げ┐( -“-)┌ってとこかな。
まぁいいや。
犬のチャンプやハリネズミのふくちゃん、猫たち(しじみ、あさり、こんぶ)をちゃんと虹の橋の向こうへ送り届けるまでは精一杯頑張って、
その後は、私ものんびりあっちの世界へ逝かせてもらい、
彼女達とまた遊ぼうぞy(^ー^)yピース!
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