「負けたくない」で生きる

今日は晴れ。風が強く、向かい風だと歩くのにかなり体力が必要なくらい。

やや冷たい風がなければ、陽射しは強く、ゴールデンウイーク初日にふさわしかったかろうと思う。

しかし、北海道では雪とのこと。

関東から出たことのない私としては驚くばかり。


ここ数日鼻水は出ていたし、昨日は下痢もしたし、体もだるかったし、

一昨日、次男が風邪で会社を休んだこともあり、

「もしや?」で、寝る前に風邪薬を服薬。

今朝は久々に体がいくらか楽だった。


接骨院に通いだして2週間経つ。

行きつけとなったのは「モリシア鍼灸・接骨院http://www.morisia.com/shop/detail.php?id=211」。

宣伝する訳ではないが、

おかげで、痛み止めを服薬せずとも日常生活が送れるようになったし、

週に一回の美顔鍼のおかげで、豊麗線(ほうれいせん)は薄くなり、嬉しい限り。

まだ、ヘルニアが4カ所ある首を中心に、肩甲骨から上部の痛みはあるので、1日おきぐらいに通っている。

腰はすっかり痛みは感じなくなり、右脚ひざ下の痛痺れ感はなくなった。

気にすれば、なんとなく痺れてはいるのかな〜?といった感じで、日常生活に問題はない。

物理的問題は抱えているので、健康体ではないけれど、「痛み」が和らいでくれるのは有難い。

これよりもう少し体が楽になれば丁度いい。

問題を抱えながら、痛み止めなどで「痛み」だけを感じなくしてしまうは、

私のような馬鹿は、調子に乗って無茶をし、かえって問題を大きくしてしまいがち。

それで何度失敗したことか┐( -“-)┌

今度こそは、そんな失敗をしたくはない。

重たい物は絶対持たないように! 持って歩いたりしないように!!

心して行動できる程度の不安感は必須。


さすがに今回は復活できないかと思って、車椅子も購入した。

精神的ダメージが大きかった。

趣味だったウォーキングも再開できて、毎日がとても充実していて、絶好調だったのだ。

昔、今は亡き親友のみっちゃんと平日毎朝ウォーキングをしていた頃(もう11年以上前。私が40代前半)に戻れた気がしていた。

みっちゃんは癌で亡くなり、

私は首と腰を痛め、この約10年間はぽかんと空洞のような時間が私の中で流れていた。

他人からも距離を置くようになっていた。

親友を失い、健康を失い、もう何も失いたくなかった。

失わない為には、「得ない」のが一番、みたいな中にいた。

特別な人ではなく、凡庸で、目立たない、ごくごく普通の地味な人で、印象に残らない人でいたかった。

今でもそれは変わらないのだけれど、

「もしかしたら、私、健康になれる?」という一陣の光が心にさし、

その光は暖かかった。


どうか、もう失望はしないでいたい。

しかし、世の中そうそう甘くはない。

また泣くことはあるだろう。

しょうがない。そしたら、また立ち上がるだけだろう。

今まで通り。

その繰り返しだ。

私には「勝つ」勇気はない。残念ながら。

でも「負けない」強さはある。有難いことに。



負けそうに何度もなりながら、「負けるものか」だけで半世紀あまり生きてきた気がする。

特に、実母が、10年の闘病生活の末、自らギブアップの道を選んでしまってから。

彼女はそれで救われたのかもしれない。

しかし、遺族は、その分の重しを背負うことになった。

その重しを背負いながら、父も弟も私も「負けじ」とその後の30年余りを生きてきて、

おそらく、一番辛かったであろう父が、今一番日々楽しく充実した生活を送れている。

自分が老人なのに、老人施設にボランティアでまわっているし、アルバイトもしているし、自治会の会長までしている元気には頭が下がる。

忙しすぎて、いつ電話しても、なかなか連絡がとれない。

たまに電話でしゃべると楽しそうだ。

頑張ってきた恩恵だと私は認識している。

母の死の責任は父にもあるけれど、私にもある。

父も私も自分勝手だった。

正直、当時は、もう逃げ出したかったのだと思う。

そして、その後も私は逃げてきた。

そして、決して母の話題はのぼらないけれど、弟もそうだったのだろうと思う。

そろそろ33回忌の計画を立てねばならない。

その時に、負けずにこれた3人が、笑顔で語り合えたらいいと願う。


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by sizhimi | 2016-04-29 17:38 | Trackback

整形外科疾患多数。軟骨が何故か消える。無くなったり 、骨化したり(後縦靱帯骨化症)。手術歴15回。気分変調症(持続性抑うつ障害)を抱えてます。


by たまごふりかけ