「負けたくない」で生きる
2016年 04月 29日
やや冷たい風がなければ、陽射しは強く、ゴールデンウイーク初日にふさわしかったかろうと思う。
しかし、北海道では雪とのこと。
関東から出たことのない私としては驚くばかり。
ここ数日鼻水は出ていたし、昨日は下痢もしたし、体もだるかったし、
一昨日、次男が風邪で会社を休んだこともあり、
「もしや?」で、寝る前に風邪薬を服薬。
今朝は久々に体がいくらか楽だった。
接骨院に通いだして2週間経つ。
行きつけとなったのは「モリシア鍼灸・接骨院http://www.morisia.com/shop/detail.php?id=211」。
宣伝する訳ではないが、
おかげで、痛み止めを服薬せずとも日常生活が送れるようになったし、
週に一回の美顔鍼のおかげで、豊麗線(ほうれいせん)は薄くなり、嬉しい限り。
まだ、ヘルニアが4カ所ある首を中心に、肩甲骨から上部の痛みはあるので、1日おきぐらいに通っている。
腰はすっかり痛みは感じなくなり、右脚ひざ下の痛痺れ感はなくなった。
気にすれば、なんとなく痺れてはいるのかな〜?といった感じで、日常生活に問題はない。
物理的問題は抱えているので、健康体ではないけれど、「痛み」が和らいでくれるのは有難い。
これよりもう少し体が楽になれば丁度いい。
問題を抱えながら、痛み止めなどで「痛み」だけを感じなくしてしまうは、
私のような馬鹿は、調子に乗って無茶をし、かえって問題を大きくしてしまいがち。
それで何度失敗したことか┐( -“-)┌
今度こそは、そんな失敗をしたくはない。
重たい物は絶対持たないように! 持って歩いたりしないように!!
心して行動できる程度の不安感は必須。
さすがに今回は復活できないかと思って、車椅子も購入した。
精神的ダメージが大きかった。
趣味だったウォーキングも再開できて、毎日がとても充実していて、絶好調だったのだ。
昔、今は亡き親友のみっちゃんと平日毎朝ウォーキングをしていた頃(もう11年以上前。私が40代前半)に戻れた気がしていた。
みっちゃんは癌で亡くなり、
私は首と腰を痛め、この約10年間はぽかんと空洞のような時間が私の中で流れていた。
他人からも距離を置くようになっていた。
親友を失い、健康を失い、もう何も失いたくなかった。
失わない為には、「得ない」のが一番、みたいな中にいた。
特別な人ではなく、凡庸で、目立たない、ごくごく普通の地味な人で、印象に残らない人でいたかった。
今でもそれは変わらないのだけれど、
「もしかしたら、私、健康になれる?」という一陣の光が心にさし、
その光は暖かかった。
どうか、もう失望はしないでいたい。
しかし、世の中そうそう甘くはない。
また泣くことはあるだろう。
しょうがない。そしたら、また立ち上がるだけだろう。
今まで通り。
その繰り返しだ。
私には「勝つ」勇気はない。残念ながら。
でも「負けない」強さはある。有難いことに。
負けそうに何度もなりながら、「負けるものか」だけで半世紀あまり生きてきた気がする。
特に、実母が、10年の闘病生活の末、自らギブアップの道を選んでしまってから。
彼女はそれで救われたのかもしれない。
しかし、遺族は、その分の重しを背負うことになった。
その重しを背負いながら、父も弟も私も「負けじ」とその後の30年余りを生きてきて、
おそらく、一番辛かったであろう父が、今一番日々楽しく充実した生活を送れている。
自分が老人なのに、老人施設にボランティアでまわっているし、アルバイトもしているし、自治会の会長までしている元気には頭が下がる。
忙しすぎて、いつ電話しても、なかなか連絡がとれない。
たまに電話でしゃべると楽しそうだ。
頑張ってきた恩恵だと私は認識している。
母の死の責任は父にもあるけれど、私にもある。
父も私も自分勝手だった。
正直、当時は、もう逃げ出したかったのだと思う。
そして、その後も私は逃げてきた。
そして、決して母の話題はのぼらないけれど、弟もそうだったのだろうと思う。
そろそろ33回忌の計画を立てねばならない。
その時に、負けずにこれた3人が、笑顔で語り合えたらいいと願う。
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