昨日の土曜日、リハビリ予約が入っていたから時間に行ったのだけれど、病院の手違いでキャンセルとなり、無駄足を踏まされた。
キャンセルされた理由は、「今は安静にせねばならない状態だから」。
手術痕からの膿(うみ)はまだ出ていて、消毒も抗生剤服薬も引き続き行われることになっている。
入浴もシャワーもまだ禁止はとかれていない。
まぁ確かに一般的に考えれば「安静だ」。
これで熱が上がれば化膿菌が中に入り、中の金属(腰椎4、5番固定術に使用しているチタンボルトと右足人工股関節)への感染が疑われ、
へたすると洗浄手術で何ヶ月かは病院から出られない。
しかし、どの医者にも、金曜日は担当医の診察もあったけれど、皆リハビリのことはうっかり忘れていたみたいで、予約はそのままになっていたし、
私も「リハビリは予定通り入っていいのでしょうか?」との疑問を投げかける頭もなかった。
よくよく考えれば・・・で、結局無駄足の上、担当医の許可がおりるまでリハビリは入れられない、とのこと。
しかし、自主的には頑張っている。
杖がなくても短距離ならば歩行できるまでになったし、
当初、痺れから右足を上げる感覚がつかめなくて、脳で「右足を上げる」と指令を出しても、実際上がるまでに時間を要したし、キツかった。
今は要領がつかめ、ちゃんとすぐに痺れた右足も上がるようになっている。
担当医が先日言っていたように、「治るか、慣れるか」だ。
今は「慣れる」ことを優先する。
「治る」かどうかは神のみぞ知る、だし、残念ながら私も私の周囲にも神はいない。
悪魔はいる気がしてるけど(笑)。
熱は平熱よりやや高し。
37℃を越えたら、医師に相談した方が安全だろう・・・でもあの空調の悪い古い入院棟には正直入れられたくない。
F整形外科は、この春から外来とリハビリ専門の新館を建てて「クリニック」と銘打ち、地域医療に貢献なさるように努めてるそうだけれど、
以前使っていた古い建物がそのまま入院と手術棟になり、そちらは空調が悪く、暑くなったり寒くなったりだし、たまに停電する。
手術中に問題が起きないように、手術で必要な電源は自家発電を使っているのかと思ったら、そうじゃないそうだ・・・手動で切り替え。
「今時?」である。
ここで手術するのは結構命がけかも
。
手持ちのアルトサックス2台を売ることにした。
2013年購入のヤナギサワのA-902と2016年購入のヤマハAS-62である。
2台とも島村楽器で購入しているし、メンテナンスもそちらでお願いしてきた。
そして、それを下取りしてもらい、買い替えという形でヤナギサワのSC-911カーブドソプラノサックスを購入予定ということで昨日電話した。
しかし、下取り価格が、それでもモノに関係なく1台4万円の実際に見てからの引き算方式。
おいおい、この2台で購入価格約60万円だよ。
他の中古楽器買取センターよりずっと安価だ。
それも一律4万円からの引き算方式ってなんだよ
。
こんな店を今まで利用していた自分の愚かさに呆然とした。
島村楽器とはもう縁を切ろう。
だってネットにはいいことばかり書いてある。
「下取り高価買取!」「買い替えなら20%UP!」な〜んて誇大広告だろうが
訴えるぞ!!
完璧に石橋楽器に負けている。
それをきっかけに、ふと「私が頑張ってきたこの5年間は何だったんだろう?」と茫然自失。
身体上の疾患による痛みや痺れなどなどから来る不便や辛さに耐えてきた関が破られた。
もう踏ん張れなかった。
もう私は十分踏ん張ったよね?
涙が出だした。
自分でも「涙活(るいかつ)」で、今は思いっきり泣いて、心に溜まった余計な荷物を流してしまわないとヤバい!と判断した。
声をあげて泣いた。
すると、同じリビングにいた夫に「泣くなよ」と叱られた。
その瞬間、私は360度自分の周りを見回してもだ〜れもいなくて、な〜んにもなくて、
「助けて!」の声に応えてくれる人もいなくて、たった一人ぼっちで、たった一人ぼっちで頑張るしかないことを知った。
明日(今日)のゴルフの大会のことで頭がいっぱいで動画などを見て研究中の夫にとっては、
妻の泣き声はうるさくて邪魔だったかとは思う。
しかし、どうこからどうみても、家族で、その様を見てきているのだから、私が辛い状況を耐えて頑張り、踏ん張ってることなんか承知の筈・・・だと思っていた。
この人はそこまで自分が可愛いか?
そこまで自分しか愛せないか?
この人は本当に私を愛してはいないのだ、と痛感した。
自分だって大病(癌)をした過去を持ち、その気持ちはいくらかでもわかるだろうに、
当時、つらさから散々私にあたり散らしていたくせに・・・。
親に似て、どこまでも自分に甘く、他人に厳しい。
そんな男に惚れたから耐えてきた自分にまた情けなくなった。
その上、手持ちのアルトサックスを売るにあたって、いいつてはないか?とメールで問い合わせていたサックスの師からの返事にも失望した。
「我関せず」である。
情けなさに輪をかけた。
こんな人たちと関わっていかねば生きていけないならば、いっそう死んで楽になった方がずっとましな気がした。
首を吊る自分しかイメージできなくなってしまった。
しかし、そこから抜け出さねばならない!という理性だけは、こんな私でも残っていて、
今は途方にくれてはいるけど、
それでも這い上がってこなければならず、
生き抜かねばならず、
でなければ、私がしてきた想いを子供達、特に娘にさせることになる。
褒められた母親ではないかもしれないけれど、我が子を愛している。
「同じ苦労だけはさせない!」しか私が彼ら、彼女を守ることはもう出来なかった。
自殺者の遺族が、どんな想いを抱え、偏見の目でみられながら生きていくのか・・・特に前者は、「見殺しにした」という罪悪感がつきまとう。
だから踏ん張るためにも時に泣くことは必要だ。
特に私みたいに泣かない、泣けなくなってしまった人間にとって、泣ける時は貴重だ。
それさえもストップをかけられた時、
そのストップをいつもかけるのが、本来ならば一番信頼し、甘えられる存在であるべき夫である時、
360度見回して私は途方にくれる。
夫はその脇で、懸命に言い訳の理屈をこねているけれど、
そんな訳のわからない理屈などこちらの頭に入ってくる筈もない。
「この人は徹底的に馬鹿なのか?」それとも「とてつもなく残酷なのか?」・・・それだけだ。
そして夫は今朝はゴルフ大会に意気揚々と出かけて行った。
もう夫が全く理解できない。
我が息子の方が、自分が産み育てているだけにまだ理解できる。
他人の息子である夫は、32年連れ添っているのだけれど、他人以上に他人だったりすることを痛感している。
「今更遅い」で二人ともアラ還を迎える。
今にして思えば、10年前も20年前も「今更遅い」ではなかったことに気づく。
ただ、本音を言えば、勇気がないのだ。
事を変えるにはかなりのエネルギーを要す。
物事を続ける方が、惰性で楽だ・・・同じ事を繰り返していればいい。
時にそれが「嫌だ」という人がいるが、「続ける」方が楽な人間が実は多数だと思う。
特に今の私にはもう余計な事までするエネルギーはない。
昨日と同じ今日が迎えられば有難い。
ただ一つだけ変えよう、と決心した。
サックスの師に、今後の指導を断った。
今までのお礼を書き、「さようなら」とメールした。
ソプラノサックスを手にできても、独学でいけるとこまでいこう。
そして、それ以上を求めるようになったら、そのエネルギーがたまったら、新しい師を探そう・・・と。
その後珍しく返信メールがあったけれど、
時すでに遅し。
「ソプラノも指導する心算(こころづもり)でいた」と言われても、
もう私の心には届かない。
連絡先を削除した。
今や人間関係なんて簡単で、ネットで簡単につながることもできるし、
「削除」で簡単に消すことも出来る。
「削除」で消したものは、師のアドレスだけでなく、この5年間の師への想いでもあった。
なんだかんだ言っても尊敬していた。
もしかしたら恋していたのかもしれない。
6歳も年下だし、あくまでも「師である」がストッパーになっていた。
「こんな不器用で病弱な取り柄のないおばさんだし」も勿論ストッパーになっていた。
だからレッスン連絡でメールすることはあったけど、敢えてなるべくお堅い文章を書いて送った。
ストッパーがあってよかった。
そうやって自分が傷つくのを守れてよかった。
そうそう簡単に立ち直れる程若くもなければ、健康でもない。
誰が読んでいるかわからない公開ブログだから、
これでも一応書くことは幾分吟味してきた。
今回は本当に本音を書き、すっきりした。
誰が読んでいようと構わない。
今は心の中の余分な荷物を降ろして、
少しでも軽くなって、先へ進みたい。
背負ったリュックの中の荷物が重くなり過ぎていた。
このままの重さじゃあ、もう一歩も前へ足を踏み出せなかったし、踏ん張って立ってもいられなかった。
とりあえず踏ん張り続けられる程度になったなら、
ちょっと休憩して、英気を養って、まずは一歩踏み出そう。