9月も最終週。
毎朝楽しみに観ていたNHK朝ドラ『ひよっこ』も最終週。
過去の殆どの朝ドラがそうであったようにハッピーエンドとなる週だ。
『純と愛』だけが違って、かなり批判を浴びていたことを思い出す。
現実はそうはいかないから、朝ドラだけは、その朝のひと時だけは「幸せな気分」を15分味わいたい。
半年楽しませていただいたドラマが終わると、すごく寂しい。
次のドラマにも1週間もすれば慣れ、毎朝楽しみにするのだけれど、
「終わり」はただただ寂しい。
そんな9月下旬、空は夏のように入道雲が浮かび、公園ではセミの声がしていた。
ただ、暑さの中にも湿度の低さを感じ、かく汗も気持ちよい。
それなのに「寂しさ」を感じるのはこの時期の特徴か?
はたまた私の個人的事情によるものか?
長く連絡のなかったサックスの師から、昨日突然メールが着ていて驚いたのだけれど、
その内容にも驚いた。
脳出血で入院していたとのこと。
幸い早期&軽度で、後遺症の麻痺を残さずにいられたのとのこと。
ただ、まだサックスは長くは吹けず、レッスンは当分待って欲しいとのこと。
返事に困った。
そしてとんちんかんな返事をメールしてしまったと思う。
急いで返事せずとも、冷静に、適切な文章を書いてから送信すればよかったのだけれど、
師にしては比較的長文だったことが意外で、
そこに師の「つらさ」を感じてしまった。
「またレッスンを受けられる日を励みにします。」みたいなことを最後に書いたような気がする。
私自身が「痛い手」を抱えて「頑張れない」とギブアップしているだけに、
その一文に半分本気、半分嘘を抱えながら、自分の弱さを痛感した。
また「楽しい」を感じながらサックスを吹きたいとは願っている。
しかし、常時じんわり痛む両手親指付け根の変形性関節症(母指CM関節症)は私の心に「寂しさ」しか与えてはくれない。
ビリビリ痺れている右脚で、訓練により何事もないようかの如く歩いてみせることはできるようになったけれど、
一歩踏み出す度にひびく強い痺れや、ときどき走る痛みの電気は、心を削る。
リハビリで整形外科への往復、原付スクーターに乗りながら見える空だけが心を癒してくれる。
担当医の言う通り、術後2年後には慣れているのだろうか。
多くの人が「慣れる」までの時間を色んな思いの中で生きていっているのだろう。
師は「麻痺は残らなかった」と言うけれど、メールを送るまでの時間、想像も出来ないような不安を抱えていただろうか?
そう送った今もまだ不安は抱えているのだろうか?
「?」をつけたのは、それをあれこれ私が考えるのも、言い切るのも、失礼かと思うから。
それが出来るのは、同じ土俵に立っている人間だけだと思うから。
私は、同じ土俵どころか、
土俵の上で立ち回っている人たちに憧れ、真似事をして、
その真似事さえも諦めようとしている人間にすぎないのだから。