私の
夢(睡眠中にみる方)は大抵は楽しい。
いわゆる悪夢というものは、大人になってからは滅多にはみない。
滅多にみないから覚えているが、
大抵それは「お化けがでる」とかいうのではなく「殺人鬼に追われる」といった感じのものと記憶している。
夢の大半は、歳とった今でも、私は10代の少女で、
その内容はいつも少女漫画のような内容だったりする。
夢に歳とった今の自分が出てくることはない。
そして「続きがみたい」と2度寝するも、決して「続き」はみれないのは定番。
夢の中の少女の私は、どこも痛いところがなくて、ときめいている。
老いると共に、現実とのギャップは開くばかり。
すでに手術に向かってあちこち経過観察中の現在
疲れ切っていて、手術に臨める状態ではなく、
故に手術をできるだけ先延ばしに出来るように、
リハビリ運動(1メニュー30分ほど)を日に3回、
杖をつきながらでもウォーキングをした方がいいと理学療法士には言われるけれど、
そんな体力や気力があるならば「こんな体にゃなっちゃあいない!」と心の中で叫んでいる。
今朝目覚める直前にみた夢の中では、
少女の私は、うっかりバスを乗り過ごしちゃったというへまの代償なのだけれど、
野山や街の中を懸命に走っていた。
そして目的地に着き、私の夢の定番の「イケメンに会える」で、
いいところで目覚ましアラームで目覚める。
「続き」は2度寝しても見ることはできまい、と仕方なく起き、猫たちと犬の朝食準備。
そして私の服薬・・・不整脈の薬2種類+胃薬、神経痛の薬、漢方薬の痛み止めと滋養強壮。
いつのまにか、年寄りの定番で「薬がいっぱい」。
今朝はとうとう「目覚めず、ずっと夢の中にいられればいいのに」と思った。
ずっと少女のままで、元気に走り回っていて、イケメンにときめいて・・・。
そういや10代の頃、長年片思いの男子がいて、彼は決して「イケメン」ではなかったけれど、
「今日は彼と会話ができた」ってだけで、胸が張り裂けんばかりにときめいていたっけ。
フォークダンスの時なんか、順番が待ち遠しくて、とうとう手が触れた時なんか、心臓が飛び出しそうだったっけ。
あの恋は、片思い3年、4年目のバレンタインに告白してふられ、
失恋後もやっぱり片思いで、彼が彼女と一緒に登下校したりするのを哀しく眺めていて、友達になぐさめられていたっけ。
へたに告白しなければ、その後もずっと「友達」ではいられたのだろうけれど、
やっぱり彼が恋人と過ごす様を哀しくながめていたのは変わらなかったんだろうな。
卒業し、それぞれ違う大学に進学し、会うことがなくなっても、確か20歳くらいまで私は想い続けていたから、
かなりの粘着質か?
約6年の長い片思いだった。
哀しくもあったけど、ときめいてもいた。
あの頃はあの頃で悩み事はいっぱいあったけれど、
未来とそれに伴う希望もあった。
何故、その未来と希望を捨てて自殺する10代がいるのかわからない。
その時さえ踏ん張れば、その半世紀後あたりには、「楽しい夢」にすら変わってしまう時期なのに。
半世紀なんて、あっという間なのに。
ゆうべ久々に長男と電話で話した。
何故かとても遠くなってしまった気がした。
そしてあんなに愛おしかった孫の声が背後に聞こえたけれど、その愛おしささえ遠く感じた。
会えば、そりゃ愛おしさは戻るのだろうけれど、
どうも長男のとこの2人の息子たちは、
特に上の子は障害を抱えているからしょうがないのだけれど、
会う度に初対面か、
怖い犬(我が家の老犬チワワは「好き」を表現しただけなのだけれど、それが孫には怖かった)の飼い主でしかない。
まぁあちらには嫁のご家族がついてらっしゃるし、なんとか達者にやっていってくれるだろう。
それでいい。
それはある意味「有り難いこと」だ。
静かに好きな読書を楽しもう。
ちなみに先日読んだ
青木裕子『幸せ戦争』
は当初あまり期待してなかったのだけれど、反してとても面白かった。
「主婦あるある」ってところだろうか。
男性には面白くはないかもしれないが、自分がどのタイプの夫か?あてはめて読んでみれば楽しめると思う。
オススメ。
その後に読んだ澤村伊智の短編集『ひとんち』は、まぁそこそこ。
澤村伊智は短編より長編の方がうまいかな?と私は思うけれど、他の人の意見はどうだろう?