どんよりとした天気続き。
気持ちも晴れない。
今日は午後2時に病院の予約。
午後7時に風呂のリフォームの契約。
その間に、ちょっと岩盤浴で暖まれる時間を持てればいいな。
*ゆうべ、残り物や賞味期限切れの食品をぶちこんで作った汁。
私的には感動的に美味しかった。
夫のリアクションは薄かったけれど
「楽しい」を求めて子供達にプレゼントを送ったはいいけれど、
口座残高を見て又気が重くなる。
節約せねばな。
時間が空いてる時に、ぼーっとしてないで内職せねばな。
好きなことだけして楽しく生きる、って訳にはいかないさ。
内職といってもさ、パソコンを使って、ちょっとした文章(口コミ)書いたり、アンケートに答えたり。
30年前にしていた内職(電気製品の部品を作る。セル画の色塗り。)と変わりはしない。
場所を取らなくなったくらい。
それでも、数百円で困っていたあの頃だったら、
必死でやっていた。
当時(30数年前)、ママ友グループでよくマックに行った。
そのマックにはちょっとした幼児が遊べるアスレチックがあったから、
そこで遊ばせながら、安全にママ達がおしゃべりに花を咲かせることが出来た。
ママ友グループにはリーダー的存在のママさんがいて、
お金がなくても、
断って、彼女の気に障って除け者になるのが皆怖かった。
そんな日々が続いたある日、
仲間の1人が突然勤めに出だし、ママ友グループから抜けた。
子供は幸い保育園(認可か無認可かは不明)に入れたと記憶しているし、
彼女の夫のお母様が同じ団地に住んでいたので、お迎えなどは頼めたかと記憶している。
確か彼女は元銀行員で、銀行に復職できたのだったかと記憶してるけど・・・30数年前の記憶だからな。
当時は今と違って、幼児を抱えたママさんが復職するのは難しかった。
離婚してやむを得ないパターンくらいだった。
彼女の場合は、ご主人は消防士さんで、団地の家賃は安かったし、もちろん離婚ではない。
勤めに出る決心をした理由に愕然とした。
皆同じ苦労を抱えていたから。
「マックに行く」と決まって、支度して待ち合わせ時間までの間、
彼女は家中の小銭を毎回探し回って集めていたそうな。
今みたいな100円マックなんてなかったし、
かといっても300円あれば何とかはなる。
それでもあの頃は、財布に千円入っているママさんは、少なくとも私の周囲にはいなかった。
勿論キャッシュレスの時代ではない。
夫もまだみんな若く、給料は少なかったし、
バブルとやらで裕福なのは一部の人たちで、
そのバブルとやらのおかげで、いろんな物が高かったし、
ぼろいアパートさえ家賃が高かった。
子供服も、西松屋みたいな安く買える子供グッズの店なんかなかったし、
ようやく「アカチャンホンポ」が郊外に出出した頃だった。
それでも数百円で買える幼児服なんて売っていなかった。
近所に10坪ほどのおもちゃのような家が建ったけれど、それが1億円なんて時代だった。
彼女は惨めな気持ちに苛まれたそうだ。
無理してかき集めた小銭で、ママ友仲間とマックへ行き、笑顔で語り合う。
その度に彼女の気持ちは重くなっていったそうだ。
嘘の笑顔に耐えられなくなっていった気持ちはわかる。
そのママ友グループのリーダーは、実家がお金持ちだったらしく、
その後、実家の持ち家をもらって引っ越していった。
それを見聞きし、
仲間の1人は、夫が大手電気会社に勤め、それなりの収入があるのに、ローンを嫌い、家を買うという意思がなかった。
それが理由で「そんな小さな男とはやっていけない!」と離婚した。
上の女の子は夫が、下の男の子は彼女が引き取った。
子供を幼稚園に入れるため・・・保育園は空き待ち状態だったし、無認可保育園は高くて手が届かなかった・・・、
その月謝分を作るため、内職を始めた私は、
そのママ友グループと自然離れていった。
寂しくはあった。
昼間、外で遊びたがる長男を連れて当時住んでいた近くにあった大きな公園・・・小金井公園・・・に朝から夕方までいて、
夜中、家族が眠っている間、内職をした。
締め切りがあり、大抵は翌日だったし、時に「その日のうちに」というのもあった。
小金井公園ではママ友はできなかった。
ママ友グループを見ることもなかった。
おそらく同じようなママさん達が集まっていたのだろう。
「寂しい」と思いながら、警戒心もあったかと思う。
そんな中では、我が子だけが心の支えだった。
我が子だけが自分の「寂しい」の逃げ場所だったかと思う。
夫は、当時はどこの会社も今で言う「ブラック」で、眠りに帰ってくるだけだ。
「寂しい」なんて言えば怒られる。
「俺は家族のために働いてるんだ」と言われれば、
その収入が我が子と自分が生きていく為の綱だから言い返せない。
今は今の苦労があろう。
30数年前の私たちの苦労も、
もっと前の、戦時中子育てしていたママさん達に苦労にくらべたら屁のようなものだろう。
時代が違い、
その時代が、心のどこかで「妬み」を生む。
昔だったら「有難い」贈り物が、
今の人にとっては「邪魔」になる。
きっと同じことを私たちもしてきたのだろう。
だから自分がした事が数十年経って返ってくる。
なのに、
つい心の中で「今の人恵まれている」となり、
その底に「妬み」が沈んでくる。
今の人にとっては私たち親の世代は「うるさい」「うっとおしい」存在になる。
互いに理解できないまま。
互いに宇宙人を見ているような気分だろう。
いきつけの岩盤浴で顔なじみのシニア女性と会話した。
彼女も姑だ。
彼女は言う。
「今の若い人の気持ちは全くわからない。」
うなずくしか出来なかった。